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シマケンの挫折は当然だった?『風、薫る』『ブラッサム』朝ドラの時代に隠された文筆家たちの苦境と辛さ

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『ばけばけ』のモデル・小泉八雲も「作家一本」ではなかった

ここで朝ドラ『ばけばけ』にも少し触れておきましょう。

レフカダ・ヘブンのモデルとなったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も文筆家でした。

しかし日本へ来た小泉八雲を経済的に支えた大きな柱の一つは、学校教師としての給料です。

松江では英語教師として月給約100円、熊本の第五高等中学校へ移ると月給200円という破格の待遇でした。

つまり八雲でさえ、

教師をする→生活を安定させる→そのかたわら日本文化を取材し、文章を書く

という働き方だったわけです。

また、その文学には妻・セツが語った日本の昔話や怪談も大きな役割を果たします。

『ばけばけ』を「作家の成功物語」とだけ見ると見落としてしまいますが、実際の文筆活動は、教師・取材者・翻訳者・語り手など、多くの仕事や人間関係によって支えられていたのです。

朝ドラ『ブラッサム』のモデル・宇野千代の時代には「懸賞小説」という入口もあった?

『風、薫る』の次に放送される朝ドラが、『ブラッサム』です。

主人公・葉野珠のモデルは作家の宇野千代

宇野千代は明治30(1897)年生まれですから、実際に作家として飛躍するのは明治ではなく大正時代です。

大正10(1921)年、千代が書いた短編『脂粉の顔』が『時事新報』の懸賞小説で入選。見事に一等を獲得して賞金200円を手にしました。千代はこれをきっかけに本格的な作家生活へ入っていきます。

一葉の時代には、師匠を探し、雑誌編集者とのつながりを作り、作品を売り込むことが重要でした。

それから約30年。

新聞や雑誌の発達によって、宇野千代のように「懸賞に応募して新人が世に出る」ルートも存在感を増していったのです。

いわゆる現代の新人文学賞へと続く仕組みが、少しずつ整ってきた時代でした。

5ページ目 明治の文筆家はつらいよ…しかしそれでも彼らは書いた!

 

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