シマケンの挫折は当然だった?『風、薫る』『ブラッサム』朝ドラの時代に隠された文筆家たちの苦境と辛さ:2ページ目
「書けば儲かる」わけではない…樋口一葉の厳しい現実
当然、文筆家の世界も競争の激しいところですから、甘い考えは通用しません。
樋口一葉の生活の苦しさがその例でしょう。
一葉は歌塾「萩の舎」で学んでいました。しかし父の死後、長女である一葉が一家の家計を背負うことになります。
姉弟子・田辺花圃が小説で原稿料を得たことを知ると、自分も小説を書いて家計を支えよう」と考えました。
一葉は新聞記者・半井桃水に師事し、明治25(1892)年に雑誌『武蔵野』で『闇桜』を発表します。
ところが「作品が載る」ことと「生活できる」ことは別問題です。
文学者・馬場孤蝶の回想によると明治後半には有名作家なら原稿用紙1枚1円ほど。尾崎紅葉は1枚2円50銭という噂さえあった時代です。
一方、一葉の原稿料は1枚30銭ほど(妹の証言)だったとされています。つまり原稿料は作家の知名度、出版社、作品によって大きく違いました。
当時のそば・うどんは約1銭2厘、普通郵便の書状は2銭程度でした。一葉の「1枚30銭」という数字が正しいとすれば、そば約25杯分です。
一見すると悪くなさそう…と思いますよね?しかし毎日のように原稿注文が舞い込むわけではないのです。
原稿が必ず採用されるわけではない。
掲載されたとしても原稿料が安い。
そもそも原稿料が出ない場合もある。
いつ次の仕事が来るかわからない…
当然、一家を養うための「固定給」となるはずがありません。
明治の作家は、才能だけではなく「原稿を載せてくれる場所」を確保することそのものが仕事だったのです。
