【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末:3ページ目
各地でも繰り広げられた戦闘
一方そのころ、各地でも戦闘が繰り広げられています。それらすべてを時系列にまとめると、頭の中がゴチャゴチャになってしまうので、こちらに列挙しました。
美濃国では:遠山佐渡守・遠山半左衛門尉らが徳川方に寝返り、東美濃の諸城を攻撃します。戦闘は3月から4月にかけて行われ、全体として徳川方が勝利を収めました。
和泉国では:雑賀衆や根来衆が挙兵して堺や大坂、岸和田城(大阪府岸和田市)に攻め寄せます。守将の中村一氏や松浦宗清が奮闘のすえに守り切っています。しばしば本拠地である大坂城まで脅かされ、秀吉は何度か家康との主戦場を離れて帰還するほどでした。
京都では:5月11日に信雄家臣の佐久間道徳が、京都所司代・前田玄以の出陣中を狙って叛乱を企てますが、在番の小野木重次に鎮圧されています。
下野国では:沼尻(栃木県栃木市)では徳川方の北条氏直・北条氏照ら率いる7万の軍勢と、羽柴方の北関東連合軍(佐竹義重・宇都宮国綱・結城晴朝ら)2~3万が対峙しました。文献によれば、北関東連合軍は8,000挺もの鉄砲を用意したと言われ、かの長篠合戦を上回る規模だったそうです。戦闘は5月上旬から8月にかけて行われ、最終的に引き分けとなりました。
讃岐国では:長宗我部元親が6月11日に十河城(そごう。香川県高松市)を攻略して讃岐国を平定。ほぼ四国全土の統一を実現しています。家康からは「その勢いで本州の摂津国(大阪府北部)か播磨国(兵庫県南部)、または淡路国(兵庫県淡路島)へ攻め込んでほしい」と要請し、秀吉を脅かしました。
水軍の動き:6月16日には羽柴方の滝川一益が九鬼嘉隆と共に水軍を率いて蟹江城(愛知県蟹江町)・下市場城(同町)・前田城(愛知県名古屋市)を攻略し、家康と信雄の連携を分断しました。しかし7月3日にはすべて奪還され、一益らは海路を伊勢へ逃れます。蟹江城の失陥によって、7月15日に計画していた総攻撃は中止されました。
信濃国では:9月に入ると徳川方の菅沼定利・保科正直・諏訪頼忠らが妻籠城(つまご。長野県木曽町)へ攻め込みますが、城将の山村良勝がこれを守り抜いています。
能登国では:9月9日に徳川方の佐々成政が1万の軍勢で末森城(石川県宝達志水町)へ攻めかかりますが、後一歩のところで前田利家の反撃にあって撃退されました。
伊勢国では:9月15日に羽柴方の蒲生氏郷らが木造具政の守る戸木城(へき。三重県津市)を攻め、和睦が成立すると具政は城を明け渡します。
