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徳川家康が66歳で授かった市姫、生後2ヶ月で婚約も…わずか3歳で迎えた不運すぎる最期

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しかしそう上手くは行かず

しかしそう上手くは行かず、市姫は慶長15年(1610年)2月12日に急死してしまいました。

死因は野イチゴを摘んでいる最中、毒虫に刺されてしまったためと言います。人間を死に至らしめる虫と言えば、マダニやスズメバチあたりでしょうか。

まだ3歳という幼い娘を喪った家康が嘆き悲しんだのは、親心によるものと信じたいところです。

ともあれ死んでしまったものは仕方ありません。家康は市姫を懇ろに弔うと、忠宗の婚約者として孫娘の振姫(ふりひめ)をあてがいました。別に市姫でなくとも、徳川家の娘であれば誰だっていいのです。

ちなみに振姫とは池田輝政(いけだ てるまさ)と督姫(とくひめ。家康次女)の娘で、一度自身の嫡男である徳川秀忠の養女として上で、忠宗と娶(めあわ)せました。

一見めんどくさい段取りを経るのは、あくまで「(池田家でなく)徳川家の娘」を送り出すことに意味があったからです。

話しを市姫に戻すと、彼女は清雲院(せいうんいん/しょううんいん)また一照院(いっしょういん)の号を追贈され、静岡市葵区の華陽院(かよういん)に眠っています。

終わりに

今回は徳川家康の娘である市姫について、短い生涯をたどってきました。

もし彼女がすくすく成長していたら、果たしてお市の方に匹敵する美女となっていたのでしょうか。

父親(家康)の容姿は好みが分かれると思いますが、母親(お梶の方)は美貌と才智に恵まれていたそうですから、可能性はありそうです。

両親どちらも頭がよかったようですから、夫を尻に敷く女傑になっていたかもしれませんね。

※参考文献:

  • 斎木一馬ら校訂『徳川諸家系譜1』八木書店、1970年7月
 

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