『豊臣兄弟!』後半の鍵を握る「浅井三姉妹」茶々・初・江——秀吉に翻弄された波乱の生涯:3ページ目
姉妹愛を重んじ嫁ぎ先を栄えさせた初
慶長5年(1600)の『関ヶ原の戦い』では、京極家は東軍へ与し大きな功績を挙げ徳川家康に認められます。けれども、慶長14年(1609)夫・高次は47歳の若さで亡くなってしまいました。
お初は出家して、常高院と名乗ります。この頃から、姉の茶々がいる豊臣家と、妹・江が嫁いだ徳川家(江は家康の嫡子・秀忠と結婚)との関係は悪化。
慶長19年(1614)には『大坂冬の陣』が勃発します。
初は家康に依頼されて、徳川・豊臣両家の仲介役となり一旦は和睦となるも、翌年慶長20年(1615)『大坂夏の陣』で、再び両家は対立。
初は大坂城へ入り、最後まで和睦に尽力するも姉・茶々は従わず大坂城は落城しました。
徳川家の天下となると、初は、江と秀忠の四女・初姫を、京極家の当主となった自分の息子・京極忠高に嫁がせました。
初は、京極家に徳川家の血を入れお家の安定を図ろうとしたようです。ところがなぜか、初姫と忠高の夫婦仲は非常に悪かったそうです。
寛永7年(1630)に初姫が亡くなった際、忠高は臨終の席にも来ずに相撲見学に興じていたと伝わります。
これには当然ですが、初姫の父・徳川秀忠の怒りを買い、忠高は初姫の葬儀への臨席を許されませんでした。
寛永10年(1633)、初は浅井三姉妹のなかでは一番長生きし、64歳で永眠しました。
冷静で穏やか、愛情深い初
さまざまなエピソードがたくさん存在する姉・茶々や妹・江と比較すると、初に関する資料や記録も少ないようです。
伝わる話を総合すると……
・一番冷静で穏やかな調整役
・実子はないのに親戚の子女を積極的に養子にした愛情深さ
・遺言状で弟・浅井井頼を気にかける記述が残っていたり、大坂の陣では姉の説得に尽力したりなど家族思い
などの人物が浮かび上がります。
嫁ぎ先の京極家の繁栄を成しえたと言っても過言ではありません。
夫が侍女を妊娠させ、それを隠すために家臣・磯野信隆に預けたという話もあります。『磯野家由緒書』には「嫉妬に狂った初が子の殺害を企んだ」と記されているそうですが、根拠は不明です。
その逆に、侍女たちから人望があり非常に優しい女性で、初が亡くなったとき、侍女数人が一斉に剃髪して尼になったという逸話もあります。
ちなみに、浅井三姉妹の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で、初は水川あさみさんが演じていました。夫・京極高次(斎藤工)に一目ぼれ、関ヶ原の戦いでは勇ましく高次とともに西軍と戦う姿も描かれました。
柔らかく愛らしい雰囲気の田牧そらさんが、芯の強い次女・初をどう見せてくれるのか楽しみですね。

