手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【豊臣兄弟!】秀吉は本当に「女狂い」だったのか? 天下人を彩った11人の側室たちを時系列で一挙紹介

【豊臣兄弟!】秀吉は本当に「女狂い」だったのか? 天下人を彩った11人の側室たちを時系列で一挙紹介:6ページ目

朝鮮出兵の頃に迎えた広沢局

そして、秀吉が晩年に側室としたのが「広沢局」です。彼女は、肥前垣添城主・名護屋経勝の娘で名を広子といいました。

朝鮮出兵のため名護屋城に在陣していた秀吉に見染められ、1593年(文禄2年)の夏ごろに側室になったと考えられます。明との講和が決裂し、再び朝鮮出兵が起きた1598年(慶長3年)にも広沢局は、名護屋城山里丸に住んでいたとされますが、同年秀吉が没すると出家したとされます。

以上、秀吉の代表的な側室11人について述べてきました。低い身分から一代で成り上がった秀吉はそのコンプレックスからか、足利家や織田家をはじめ、名門の娘たちを数多く側室に迎えました。

ただ、美女とみれば全員我がものにしようと考えていた節がある秀吉は、今回紹介した女性たち以外にも関係を持った女性がどれほどいたのかは想像もつきません。

冒頭に挙げたフロイスの記述をそのまま史実として受け取ることはできませんが、秀吉自身が「女狂い」であったことを認めていた事実を踏まえると、その証言には少なからぬ真実が含まれていたのかもしれません。

※関連記事:

なんと側室300人!豊臣秀吉の女性選びが、他の戦国大名とちょっと違った理由とは?

戦国時代きっての「女好き」といえば、多くの人が天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)を思い浮かべるかと思います。事実、秀吉の側室はその生涯で300人もいたと言われており、天下を獲った結果として…

【豊臣兄弟!】「自分を殺そうとした男」の側室に…秀吉に処刑されかけた姫・南局を襲った数奇な運命

豊臣秀吉(羽柴秀吉)と言えば大の女好きで知られており、その側室は200人とも300人とも言われるほどでした。今回はそんな一人・南局(みなみのつぼね)こと山名茜(やまな あかね)を紹介したいと思…

300人もの側室を抱えた豊臣秀吉が親バカぶりを発揮した愛娘・豪姫の正体とは?

サルのように陽気な性格と持ち前の機転で、天下を支配した戦国武将・豊臣秀吉。築城や城攻めの天才の異名を持つ人物であり、ときには女子供を厭わず虐殺するなど冷酷な一面を持ち合わせていました。今回は、…
 

RELATED 関連する記事