朝ドラ『風、薫る』「日本のナイチンゲールになる」生田絵梨花が演じる玉田多江の実在モデル・桜川里以の史実:4ページ目
帝大病院退職後は看護や廃娼運動に励む
実際、明治21年(1888)に、桜川里以は、大関和や鈴木雅らと共に養成所を卒業。トレインドナースとして帝大医科大第一病院(現在の東大病院)に勤めるようになります。
ドラマでは、最初は7人だった看護学生のうち、残ったのはりん・直美・多江・工藤トメ(原嶋凛)の4人でした。
そして病院の都合で、新人看護婦なのに皆「看護取締」を命じられました。多江は「婦人科取締」。
もともと病院に勤めていた“看病婦”とはうまくいかないし、医師は「看護婦の仕事」を理解していないし、看護婦を下女だと思っている患者はいるし……逆風の中で働くうちに、4人の間の結束は高まっていきました。
そして、りんが病院側から辞職に追い込まれたとき、多江は冒頭でご紹介したように「この国の看護のトップになって日本のナイチンゲールになる。」と宣言。
りんの実力を大いに評価し、同僚ながらリスペクトしていた多江ならではの、名セリフでしょう。
実際は、明治23年(1890)11月に正式に大関和が帝大医科大第一病院を退職した3ヶ月後に、鈴木雅と桜川里以も同病院を退職しています。
原案伝記小説によると、
里以は、麻布の聖慈病院に移るとともに、近代日本における廃娼運動を担った女性団体「婦人矯風会」の活動にも積極的に参加、娼妓の廃業を手伝ったりその後の生活の面倒を見るなどの廃娼運動活動に励みます。
以前、里以は「廃娼運動はいいけれど、現場も知らずにただ娼妓の仕事を辞めさせるだけなら偽善。廃業した娼妓たちのその後の生活も考えるべき」と、手厳しく鈴木雅にいわれています。その言葉が胸に刻まれていたのではないでしょう。
その後、明治29年(1896)、宣教師のマリア・トゥルーが亡くなります。
葬儀で、大関和や鈴木雅らと顔を合わせた桜川里以。
桜井女学校附属看護婦養成所が閉鎖になってしまった後、「もう一度、看護学校を再開したい」というマリアの遺志を継ぐために皆で奔走します。その結果、翌年『衛生園看護婦養成所』が開設されました。
里以は、熱心なクリスチャンであった姉の紹介で知り合った婚約者で、ホノルルで働いている医師・三沢杢二郎と結婚するためにハワイに渡ります。
結婚後は一女を授かりましたが夫が結核で早逝したために、日本に帰国。里以は看護婦として働きながら娘・みねをオルガン奏者として育てあげました。
ナイチンゲールゆかりの病院で生まれた生田さん
「この国の看護のトップになって日本のナイチンゲールになる」宣言をした玉田多江のセリフがネットでも話題になっていましたが。
桜川里以こと玉田多江を演じている生田さん自身が、ナイチンゲールゆかりの病院で誕生したことにも驚きでした。
生田絵梨花さんはドイツで生まれですが、この「風、薫る」の出演が決まったとき母親から「あなたはナイチンゲール病院で生まれた」と聞かされたそう。
ナイチンゲールが看護指導を受けていた、ドイツのカイザースヴェルトにある病院だったそうです。
「ナイチンゲール病院で生まれた自分が、ナイチンゲールの教えを受け継ぐ看護を学ぶ人物を演じるからには、と自然と使命感が芽生えてきました。」そうです。
明治時代、数々の偏見や風当たりのなかで看護婦の仕事を貫き通すのは、大関和も鈴木雅も桜川理似も、なみなみならぬ強い意志があったことでしょう。
ドラマでは、大関和こと一ノ瀬りんは高田女学校を経て再び看護婦に戻り、鈴木雅こと大関直美は「訪問看護」の道を切り開いていきます。
まっすぐで知的な瞳が印象的な生田さん演じる、桜川里以こと玉田多江が、今後どのように描かれていくのか楽しみですね。
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参考:明治のナイチンゲール 大関和物語 田中ひかる


