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【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤)    が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは

【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは:3ページ目

頼りにしていた筒井順慶も味方せず

そして、もう一人、光秀が頼りにしていた人物がいます。

「豊臣兄弟!」では、信長に反旗を翻した松永久秀に代わって大和国を任された人物として描かれた、筒井順慶(永沼 伊久也)です。

史実でも、大和国を支配して光秀の与力として行動を共にすることが多かったといわれています。光秀とは茶席をともにするなど、個人的にも親しい間柄だったそうです。

天正10年(1582)、本能寺の変で順慶は大きな選択を迫られることになりました。

「順慶は洞ヶ峠まで出陣し、光秀と秀吉のどちらが有利かを見極めてから、どちらに付くかを決めようとした」という、いわゆる『洞ヶ峠の順慶』という逸話が残っているのですが、現在では後に脚色された俗説とみなされています。

実際は…

▪️自分の一存で決めることはできず、一族や重臣などと協議した末に、「秀吉につく」と決めた

▪️光秀について、長年かけて手に入れた(取り戻した)大和国を危険にさらすようなことはせずに守りたかった。

という説が強いようです。

武将でありながら歌人・古典学者として名高かく文武両道だった細川藤孝(のちの幽斎)は、いち早く「生き残るためには誰につくかを見極めた」武将。

武将であると同時に、教養人としての側面を持ち謡曲や茶湯を好んだ筒井順慶は、当初は親しい光秀に味方する動きをとったものの「迷い続けた」武将。

この二人の武将の判断が、光秀の敗北を招いたのでした。

4ページ目 光秀の味方になった二人の武将とは

 

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