【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは:2ページ目
小一郎は「明智を討つ」覚悟・細川藤孝は「明智から離れる」覚悟
ドラマでは、京都にいた小一郎(仲野太河)は、明智光秀と親戚関係にある細川藤孝(亀田佳明)と密談します。
この密談では、お互いに、“正直どうしていいのかわからん”気持ちでした。
小一郎は迷いを捨て「明智を討つ」決断を、藤孝は親しかった「明智を捨てる」決断をする……そんなを表現したストーリーとなりました。
「謀反は許せん!」けれど、ずっと一緒に戦ってきた光秀をなんとか救える手段はないものか、「どうしたらいんじゃ」と、小一郎はどストレートな言葉を投げかけます。
これに対して藤孝は…
「救おうなど、お主のうぬぼれ。光秀は一時の情の迷いで謀反を企てるような浅はかな男ではない。」
「全身全霊をもって織田を討ちにくるぞ。今のままでは討たれるのはお主ら」
と諭します。
そこに「秀吉、姫路に到着!」の一報が届きました。
小一郎は、「兄者なら走り続けると思った。細川殿のおかげで目が覚めた。」と、明智光秀を討つ覚悟を決めます。
兄弟の実行力に「この先やるかも!」とふんだのでしょうか。藤孝は、親しい明智とは手を組まずに距離を置き、自身は剃髪して家督は忠興に譲ることを決めました。
「主君殺しは大罪」明智につかぬほうがいいと判断したか
細川藤孝がなぜ「親しく縁のある光秀を助けなかったのか?」には諸説あります。
史実では、光秀と藤孝は、共に幕臣として足利義昭を支え、信長と義昭の橋渡し役もしていました。
さらに、共に信長の家臣となり、数々の戦いで藤孝は光秀の与力を務めてもいます。しかも、長男・細川忠興と光秀の三女・玉(のちの細川ガラシャ)が結婚したことで、親戚関係だったのです。
光秀は、親しく信頼していた藤孝は、必ず味方になってくれると信じていたことでしょう。
『細川家文書』によると、光秀は「細川父子は味方になってくれると思っていた。改めて味方になって欲しい」という覚書を送っています。
戦国の世とはいえ「主君殺し」は大罪。
▪️どんな理由があっても、光秀は非難されこそすれ歓迎されるわけはないと考えた
▪️秀吉の「中国大返し」の行動力に驚き、すぐさま当時大阪にいた信長の三男・信孝と手を組み「光秀征伐」に乗り出す可能性が高いと考えた
などで、光秀の味方になっては不利になると判断した……という説が有力ともいわれています。

