朝ドラ『風、薫る』りんのモデル・大関和が解任された本当の理由…今井医師のモデル・佐藤三吉が引き留めないわけ:5ページ目
高田で瀬尾原始と運命的な再会
佐藤三吉は、辞めていく和に次の看護人生に導くアドバイスをします。
〜いずれにせよ、正義感の強い和にしてみれば、自分が女性であることなどは度外視して建議書提出の行動に出たのだった。佐藤は考えた末、和に越後高田の知命堂病院に行ってみないか、と話を切り出したのだった。〜(『穂高高原』)
「知命堂病院」と瀬尾原始が父親の後を継いで院長になった病院です。
けれども、退職した直後、鈴木雅が桜井女学校と附属看護婦養成所の設立者メアリー・トゥルーのもとを訪ね和の再就職先を斡旋を頼んでくれたおかげで、女学校に務める話が舞い込み、そちらを受けることにしました。
(ドラマでは、直美が大山捨松(多部未華子)にりんの再就職先を依頼していましたね)
そして、明治23年(1890)11月に和は正式に第一医院を退職、越後高田女学校寄宿舎の舎監として赴任したのでした。
「私共の精神が当時の医局に容れられず、空しく貴重の歳月を送らん事を悲し」
(『婦人新報』第一四一号)
と無念の思いを残した和。
ところが、不思議な運命の巡り合わせか、和は高田に赴任してからしばらくして、以前佐藤三吉にアドバイスされた知命堂病院長となった瀬尾原始と運命的な再会をします。
瀬尾に「父の古い病院を新築工事して最新の医療設備を整えた病院をオープンする。そこの看護婦長になってくれないか?」と依頼され、和は高田女学校を退職し新たな第二の看護婦人生をスタートすることになりました。
もし、病院であのまま働き続けていたら看病婦取締以上の仕事はさせてもらえず、「日本のナイチンゲール」大関和は、誕生しなかったかもしれません。
高田に赴任し、女学生たちとの交流、廃娼運動との出会いなどの経験を積み、瀬尾原始と再会でき、以前佐藤三吉から勧められていたこともあり瀬尾原始の病院で働くことを決め……そんな巡り合わせから、和の二度目の看護人生は始まったのです。
もともと瀬尾は、病院時代、風当たりがきつい医師も少なくない中で最期まできちんと接してくれた医師でした。
第一医院解任で第二の看護婦人生がスタート
ドラマ「風、薫る」もいよいよ後半。舞台は第一医院から越後高田女学校へと移り、りんも直美も大関和や鈴木雅のように、いち看護婦としてだけではなく、日本の看護の発展や女性の社会進出への道を築き上げていくという偉業を成し遂げていきます。
今は、3月末にドラマが始まって以来、りんも直美もこんなに辛い涙を流すのは初めてといってもいいくらい、精神的に厳しい状態になりました。
けれど、まったく性格も考え方も違う二人の生涯続いた絆のワケが見えたような気がします。(原案小説の和や雅と、ドラマのりんと直美が、どんどんシンクロして見えるように)
バーンズ先生の問い「What is nursing?」(看護とは何か)の答えを模索中のヒロインたちですが、この葛藤から、現代の「看護」が育まれてきたのかと思うと、感慨深いものがありますね。
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参考:
田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
亀山美知子『大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語』
相馬黒光『穂高高原』


