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『豊臣兄弟!』本能寺の変は「怨恨」だけではない!光秀を謀反へ走らせた家康共謀説・四国説・武田内通説

『豊臣兄弟!』本能寺の変は「怨恨」だけではない!光秀を謀反へ走らせた家康共謀説・四国説・武田内通説:4ページ目

光秀と家康は手を結んだのか?「共謀説」を検証

さて最後に紹介するのは、光秀と徳川家康(松下洸平)が協力して信長を葬ったという「光秀・家康共謀説」です。

実はこの説は、2023年(令和5年)に放映された大河ドラマ『どうする家康』で採用され話題となりました。

信長は家康の暗殺を光秀に命じます。また家康も信長に害される危険があることを察知します。織田家での行く末に不安を感じる光秀は、家康と事前に示し合わせ、それぞれが信長暗殺を計画するのです。

ただ、家康はお市の方に説得され、信長暗殺を思いとどまりました。しかし光秀は上洛した家康を襲うとみせかけ、軍勢を率いて京都へ向かいます。つまり家康暗殺という信長の命令に従う振りをして、本能寺にいる信長を襲ったのです。

光秀配下の本城惣右衛門は『本城惣右衛門覚書』「家康様がご上洛されているので、我らは家康様を討つものとばかり思っていました」と記しています。いつの世も同じですが、下の立場の者たちの間で広がる噂は、ときに真実味があると思われるのです。

また、光秀の子孫である歴史作家・明智憲三郎氏は、信長が天下統一を成し遂げた後に、唐入り(明の征服)を企んでいたとし、太平の世を望む光秀がそれを阻止するために「本能寺の変」を起こしたとする説を提唱しました。

この説によると、武田氏滅亡後に東日本に勢力を拡大する徳川氏を脅威に感じた信長が、光秀に家康殺害を命じるものの、かねてから誼を通じていた家康と共謀して信長を討ったというものです。

しかしながら、この説を裏付けるような一次資料は存在しません。ただ、古くから光秀と家康の関係は良好であったともいわれており、それが「本能寺の変」における「光秀・家康共謀説」へとつながっていったことも考えられます。

いかがでしたでしょうか。本稿で取り上げた説はいずれも決定的な証拠があるわけではなく、やはり「本能寺の変」の真相は不明と言わざるを得ません。

だからこそ新たな史料や研究成果が現れるたびに、活発な議論が行われるのです。今後、「本能寺の変」の原因を決定づける資料が発見されることが待たれます。

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※参考文献
磯田道史著 『日本史を暴く』中央公論新社刊
明智憲三郎 『本能寺の変431年目の真実』河出文庫

 

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