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朝ドラ「風、薫る」女郎を地獄から救いたい…夕凪を救うため、りん(見上愛)が出会う明治の『廃娼運動』とは?

朝ドラ「風、薫る」女郎を地獄から救いたい…夕凪を救うため、りん(見上愛)が出会う明治の『廃娼運動』とは?:3ページ目

養成所の所長も「廃娼運動」に関わっていた

第10週の最後の予告では、梅岡女学校附属の看護婦養成所の所長・梶原敏子(伊勢志摩)が「養成所が続けられなくなった」と皆に告げるシーンがありました。

この梶原敏子先生のモデルとされる矢嶋楫子も「廃娼運動」に関わっていた人物です。明治19年(1886年)には東京キリスト教婦人矯風会を組織、初代会頭に選ばれます。

矯風会は、キリスト教の精神に基づき女性と子どもの人権を守り、禁酒活動・一夫一婦制・公娼制度廃止・戦後平和運動に力を注ぎ、運動だけではなく女性のためのシェルターを運営してきました。

原案伝記小説の中では、看護学生たちは皆、婦人矯風会に入会していたという記述があります。

当時、会では娼婦たちの立場で廃娼運動を唱える人もいれば、娼婦は醜業婦・醜婦な社会悪なので一掃すべきという考えの人もいたとか。

鈴木雅は看護学生たちに「哀れな娼妓を遊郭から助けてやろうと考えている人もいるようだが、女郎の現状も知らず廃娼を唱えても偽善」という過激な発言をします。

「ただ単純に女郎制度を廃娼しても、より追いやられて今より劣悪な環境で働かざるおえない女性もいる。廃娼運動ならそこまで考えてするべき」と説いたそうです。

その後、看護学生の中で小池民池田子尾広瀬梅(工藤トメ/原嶋凛)は看護婦にはならず、矯風会で廃娼運動に関わっていきました。

けれども、雅に言われた言葉を胸に、女郎たちを地獄の環境から救うために廃娼を訴えていったそうです。

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4ページ目 第一病院退職後、新潟で「廃娼運動」に出会う

 

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