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朝ドラ「風、薫る」女郎を地獄から救いたい…夕凪を救うため、りん(見上愛)が出会う明治の『廃娼運動』とは?

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卯三郎に「廃娼運動」という手段を教えてもらう

直美は、夕凪に「逃げた女郎が産んだのが私です」と打ち明け、誠心誠意看護をすることに。りんは、自分が路頭に迷っているときに雇ってくれた瑞穂屋の卯三郎(坂東彌十郎)のもとへ相談しに走りました。

「女郎一人助けても遊郭の仕組みは変わらない」と卯三郎は言いつつも、女郎を救う廃娼運動家について書かれた新聞記事を見せました。

その新聞には『廃娼運動の敵とは』というコラムが。

「女郎を廃業できるように廃娼運動をしている人たちがいます。彼らに協力をあおいで廃業することができたら、その女郎にも社会にもリターンがあるはずです」と言います。

さっそく走り出すりん。そんなりんの姿を見送る街角の女占い師・真風(研ナオコ)が「月に叢雲花に風。逆もしかり」と独り言を。

「月には雲がむらがって隠し、美しく咲いた桜は風が吹いて散らす。好事はとかくじゃまが入り、長続きしない」ことの例えなのですが、「逆もまたしかり」とは意味深ですね。

邪魔ばかりで逆境になるけれど、その邪魔が転じて幸運となっていく……そんな、意味だといいのですが。

実は、明治5年(1872)に「娼妓解放令」が出されて以来、『廃娼運動』が始まっていました。けれども、全国的な広がりを見せたのは、明治22年(1889)頃だったそうです。ちょうど、史実では、帝都医科大学第一病院(現在の東大病院)で大関和は外科看病婦取締に、鈴木雅は内科看病婦取締になって働いていた頃になります。

けれども、まだまだ娼妓自体が自ら自由を求めて声を上げたわけではなく、さまざまな婦人団体による外部の運動でした。

ちなみに「娼妓解放令」が出されたのは、横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力(中国人労働者)を奴隷であるとして日本政府が解放した事件がきっかけで日本が国際裁判の当事者となった初めての事例。これが、芸娼妓を解放する命令に繋がったそうです。

3ページ目 養成所の所長も「廃娼運動」に関わっていた

 

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