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『豊臣兄弟!』松永久秀は本当に爆死した?大和にこだわった本当の理由など…史実から第20回放送を考察

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久秀が大和国にこだわった理由は?

劇中では「大和一国を返してくれるなら平蜘蛛を差し出す」と言ってきかなかった久秀。その理由は南朝の埋蔵金だとか三好長慶から与えられた国だとか言っていましたが、実際のところはどうだったのでしょうか。

久秀が三好長慶に仕えたのは天文2~3年(1533~1534年)ごろ、はじめは右筆(ゆうひつ。書記官)を務めていたようです。

長慶の人事体制は、中世封建制度下においては珍しい能力主義を導入していました。石成友通(阿部亮平)や久秀など新参者や卑賤の身分であっても、能力があれば政権の中枢に参与できるほどの権限を与えられています。

出自の怪しい久秀にとっては、自身の能力を最大限に発揮できる職場環境だったと言えるでしょう。

そんな久秀は永禄3年(1560年)に興福寺を打ち破り、ついに大和国を統一しました。第13代将軍・足利義輝の御供衆にも任じられ、長慶と比肩するほどの勢力を持つに至ります。

ここで野心あふれる久秀なら叛旗を翻しそうなものですが、久秀はそれをしませんでした。自分をここまで引き立ててくれた長慶を、まさに親の如く慕っていたのかどうか……。

しかし永禄7年(1564年)に長慶が没すると、やがて三好三人衆(三好宗渭・三好長逸・石成友通)と決別、謀叛を起こして大和国を切り取るに至りました。

劇中で語っていた「大和国は親とも思っていた長慶から与えられた(から絶対に譲らない)」という思いは、あながち嘘ではなかったのかもしれません。

3ページ目 久秀は本当に爆死したのか?

 

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