縄文文化はなぜ“東高西低”だったのか?西日本を襲った「巨大噴火」と「森の植生」の違い:3ページ目
繁栄の鍵は「森の植生」にあり?
では、そのほかの西日本と東日本との繁栄の差はどこから生じたのでしょうか。その理由の一つとされているのが、西日本の照葉樹林と東日本の落葉広葉樹林という植生の違いにあると言われています。
照葉樹林は温暖で雨が多い地域に発達することから、日本列島では西日本の太平洋側、九州などの地域に広く分布しています。照葉樹林は枝葉が多く茂るため、森の中は常に薄暗く、湿った環境になりやすいという特徴があります。
縄文人は木の実を主食としてましたが、その木の実の生産量は東日本の落葉広葉樹林とはそう変わりがなかったとされています。ところが、冬に葉を落とす落葉広葉樹林では、林床植物と呼ばれるワラビやゼンマイ、ヤマイモ、キノコなどが育ちます。それに対して一年中鬱蒼としている照葉樹林では、そうした植物が育たないのです。
また縄文人が三内丸山遺跡で、直径1m以上のクリの木を建物の柱にしていたように、落葉樹林に多いクリの木は、割りやすく加工が容易で、湿度に強く腐りにくいという特性があります。当時は建物だけでなく、水場を造ったり、器などの生活用具、また薪としても利用していました。一方で、照葉樹林のカシやクスノキなどはとても堅く、金属器を持たない縄文人にとっては扱いづらかったようです。
このような植生の違いが、食料問題や生活のあり方に影響し、東日本では人口が増え華々しい縄文土器の開花へ繋がり、西日本では小さな集落で緩やかに人口が増えていったと考えられています。
東日本の縄文文化は飛躍的に発展しましたが、その反動もまた大きかったと言われます。 やがて気候が寒冷化し、森から充分な食料を得られなくなると、大きな集落を維持することが難しくなり、人々は分散して生活するようになり人口も減っていきました。
大きな変化が無かった西日本は、その後の大陸から入ってきた文化を着実に根付かせ、弥生文化の担い手となったと考えられています。
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※参考資料
・縄文時代の不思議と謎 山田康弘/実業之日本社
・縄文時代を知るための110問題 勅使河原彰/新泉社


