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『豊臣兄弟!』お市の長政介錯は史実?義昭のその後、義景斬首の実際…怒涛の展開、第17回放送を考察

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追放された足利義昭、その後どうなった?

元亀4年(1573年)7月、信長に敗れて京都から追放された足利義昭は、その後もしぶとく生き延び続けました。

河内(大阪府南東部)・和泉(大阪府南西部)・紀伊(和歌山県)などを放浪し、天正4年(1576年)2月に毛利輝元(濱正悟)を頼って備後国鞆(とも。広島県福山市)に腰を据えます。

この鞆という地はかつて初代室町将軍・足利尊氏が雌伏の末に京都復帰を果たしたという縁起のよい土地でした。きっと義昭も、ここから幕府再興を志したことでしょう。

その後も毛利の後ろ盾を得ながら甲斐の武田勝頼や越後の上杉謙信(工藤潤矢)らに対して信長討伐の命令を発しています。

ちなみに京都から追放されてはいましたが、征夷大将軍の職まで失ったわけではありません。だから幕府の本拠地が京都室町から備後国鞆へ移っただけで、幕府自体が滅亡したわけではない「鞆幕府」と解釈する説もあるようです。

義昭が京都へ帰ったのは天正15年(1587年)10月、副将軍・毛利輝元の軍勢に護られながら約15年ぶりの帰京でした。

しかし天下の政権を握ることはなく、明けて天正16年(1588年)1月に義昭は将軍職を朝廷に返上します。これにより、室町幕府は名実ともに滅亡したと言えるでしょう。

なお義昭自身は慶長2年(1597年)8月28日に60歳で波乱の生涯に幕を下ろしたのでした。

3ページ目 朝倉景鏡が義景を斬ったのは本当?

 

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