朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察:3ページ目
「クリミアの天使」ナイチンゲールを彷彿させる捨松
「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲールは、さまざまな名言を残しています。
「自然は病人を癒やし、看護師は自然を助ける」
看護というものの本質を表現した名言。看護師の役割は病気を直接治すことではなく、患者が自然に回復できる最良の環境を整えることにある……ということです。看護における「清潔な環境を整える」ことを大切にしていた彼女らしい言葉です。
一ノ瀬りんのモデル・大関和も、このナイチンゲール方式に基づき、病室の丁寧な清掃と換気、患者の体や衣服の生活など環境を徹底的に整えて、感染者や死者数を抑えることに成功しています。
さらに、ナイチンゲールの「女性も男性と同じように、社会に貢献する能力を持っている」などの言葉も印象的です。
19世紀に厳しい性差別に抗いながらも、女性の社会進出を強く訴え続けた女性らしい力強い言葉で、閉鎖的な時代に人生を切り開いていく女性たちの憧れと模範になったそうです。ドラマ中の大山捨松を彷彿させますね。
実際、捨松は米国の大学卒業後、ニューヘイブン病院の看護婦養成所で学び資格を取得しているので、当然ナイチンゲールの看護や思想を学び、その信念に共感したと思います。
英国・ロンドンのテムズ川のほとり聖トーマス病院の敷地内にある『ナイチンゲール博物館』の入り口には大山捨松の写真が掲げられているそうです。
和と雅が入学した『桜井女学校の附属看護婦養成所』
ドラマで、二人のヒロインが明治19年(1886)12月に入学したのは『梅岡女學校』。
正門の前でりんは「士族のお嬢さんはナースになんてならないかと思った」と声をかけられました。そこには、ばっさりと肩で切り揃えたセンターパーツのボブスタイルになった直美が。失恋や今までの自分の人生への決別なのか。さらに「いい面構え」になっています。
史実では、大関和と鈴木雅が入学したのは『桜井女学校の附属看護婦養成所』です。
桜井女学校は、日本の教育者・櫻井ちかが1876年に設立したキリスト教系女学校で、ちかの函館転居に伴い、学校の経営はアメリカ人宣教師のマリア・T・ツルー(「風、薫る」の宣教師メアリー(アニャ・フロリス)のモデル)に移りました。
ツルーは、当初女学校とは別に新しく看護学校を設立するつもりでしたが、医療宣教師のJ.C.ヘボンらに反対され「非公式」で看護学校を始めたのです。このときに入学したのは大関和、鈴木雅ほか7〜8人ほどの少人数だったそうです。ドラマでも『梅岡女學校』に集まったのは7人ほどのようですね。
桜井女学校の附属看護婦養成所では「ナイチンゲール方式」の看護教育を実践するために、看護学の教授として、スコットランドの看護学校を卒業したアグネス・ヴェッチを招聘しました。同養成所は、
▪️病院での実地訓練(実習中心)
▪️生活態度・礼儀の教育(規律と人格の重視)
▪️衛生・環境の重視(科学的看護)
を中心に学ぶ場所で、全て当時の日本における看護にはない最新的な考え方でした。史実では和と雅はともに1888(明治21)年10月26日に同校を卒業し、看護婦の資格を得ています。

