朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察:2ページ目
ナイチンゲールも体験「看護婦」への差別
日本の初期看護教育に大きな影響を与えた人といえば、イギリスの看護婦であり「近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母」と呼ばれる、フローレンス・ナイチンゲールです。
彼女は、「病人の看護は、家族・家の奉公人・宗教的奉仕者などが行うのが当たり前」だった世の中を変えました。
1820年5月12日、トスカーナ大公国フィレンツェで生まれたナイチンゲールは、幼少期からさまざまな語学・哲学・数学・経済学・歴史・美術・音楽など、贅沢の限りを尽くした教育を受けたそう。けれども、彼女は、慈善訪問先で貧困に苦しむ人々を見て「人々に奉仕する仕事をしたい」と考えるようになったのです。
その後、家族に反対されるも1851年にドイツで看護師の勉強を始め、ロンドンで医療や看護や病院運営などの教育を受け、イギリス各地の病院の状況を調べ専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えたのでした。
そして、『クリミア戦争』で負傷した兵士の看護をするため、英国人24人のシスターと10人の志願看護婦とともにイスタンブールに赴きました。
けれども、当時の陸軍は男社会。驚くことに、野戦病院に着いた看護婦一行は「お嬢様たちの御遊び」と馬鹿にされ、軍医から軍からも歓迎されず看護の業務につかせてもらえなかったそうです。
けれど、ナイチンゲールはそんな理不尽な差別に負けることはありませんでした。
野戦病院の不衛生で劣悪な状況を改善、掃除の徹底、食事での栄養管理などに努めたのです。また、夜になるとランタンを持って寝ている負傷者の様子を見て歩き、「ランプの貴婦人」とも呼ばれました。
さらにすごいのは、負傷兵に替わって母国の家族に手紙を書いたり、死亡した兵の家族に死亡報告と一緒に僅かでも義援金を添えたりと、兵士たちの心理的な面でも支えになったこと。
肉体的な業務だけでも重労働なのに、さらに患者の心の看護をするのは、自身の仕事に対する信念や自信がなければできないことですね。
3ページ目 「クリミアの天使」ナイチンゲールを彷彿させる捨松
