手洗いをしっかりしよう!Japaaan

朝ドラ【風、薫る】予習:逆境を切り開いた才女!ヒロイン・大家直美(上坂樹里)のモデル・鈴木雅の生涯

朝ドラ【風、薫る】予習:逆境を切り開いた才女!ヒロイン・大家直美(上坂樹里)のモデル・鈴木雅の生涯:2ページ目

5年の結婚生活後、夫が死亡しシングルマザーとして上京

大家直美のモデルになったのが、実在の人物・鈴木雅です。

雅は、安政4年(1858)、第13代徳川家定の時代に、静岡県の士族・加藤信盛の娘に生まれました。江戸時代が終わり明治になるまであと10年ほどという頃です。

父親の加藤信盛は幕臣で、鳥羽・伏見の戦いに参戦した後、日本各地を転戦しつつ、最後は五稜郭に立てこもって戦い生き残ったそうです。

「子供の頃に親に捨てられて家族がいない」というドラマの設定とは異なりますね。

雅は明治9年(1876)の18歳頃、1年間横浜のフェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)で学んでいます。その後、1878年に結婚しました。夫の鈴木良光歩兵少佐は9歳年上で、西南戦争にて大阪鎮台歩兵第9連隊第2大隊大隊長を務めた人物です。

良光は、父親とともに旧徳川家に支えていました。明治4年(1871)に軍隊に入隊、数々の戦功により明治10年(1877)には少佐に昇進しています。

そして明治11年(1878)に、雅と結婚しました。二人は京都で新婚時代を過ごしたあと仙台に移りますが、5年という短い結婚生活後、仙台で良光は病死します。

雅は二人の子供を抱えて上京し、働くシングルマザーとしての人生をスタートすることになりました。

派出看護婦事業の発展や育成に貢献

雅は、共立女学校(現在の横浜共立学園)で学びます。この学校を創立者のひとりの女性宣教師・ルイーズ・ピアソンは英語、英文学、天文、数学、科学などを自ら担当。

化学の実験にはエドワード・ウォーレン・クラークを招くほど熱心な教育を行なっていました。そのため、この学校からは、米国で学位を取得して女医となった学生を何人も輩出したそうです。

雅はここで英語を取得。フローレンス・ナイチンゲールの著作『看護覚え書(Note on nursing)』を原書で読み内容を理解していたとか。勉強熱心な努力家だったと思われます。

そんな新しい教育の風に吹かれる学校にいたからでしょうか。明治20年(1887)雅は開設されたばかりの「桜井女学校付属看護婦養成所」に1期生として入学します。ここで、ドラマでバディとなる一ノ瀬りんのモデルとなった大関和と出会ったのでした。

ここでは、ナイチンゲール看護学校の一期生として看護を学んだアグネス・ヴェッチから、看護についてのさまざまなことを教わります。

その後、帝国大学医学大学附属第一病院(現在の東京大学医学部附属病院)でトレインドナース(※)として働き、内科の看護婦取締役(看護婦長)を務めました。大関和は、同じ病院で、外科の看護婦取締役(看護婦長)を務めています。

その後、明治24年(1891)には東京の本郷に慈善看護婦会 (のちの東京看護婦会) を創設。派出看護婦を設立して、在宅の病人を看護する看護派出事業や育成に貢献しました。

明治29年(1896)には、東京看護婦講習所を開設して派出看護婦の養成に貢献もしています。

また、雅は、日本最初の女医・荻野吟子らと大日本婦人衛生会を組織化して、『婦人衛生雑誌』を刊行。衛生に関する知識教養の普及・啓発にも努めたのです。

※トレインドナース:正規に訓練された看護婦のこと

3ページ目 近代的で合理的な職業観を持って活躍

 

RELATED 関連する記事