『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇:4ページ目
豊臣家を見限り徳川についた最上義光
この秀次事件を、人々は厳しく批判しました。
『太閤記』によると、夜のうちに街の随所には
「今日の狼藉は、無法極まる。行く末めでたき政道にあらず。ああ、因果のほど御用心候え」
と書かれたそうです。政権のあまりの残酷さに黙って見過ごすことのできない人々の厳しい言葉。憤りの声が噴き出したのでした。
駒姫の処刑後、母の釈妙英も亡くなりました。娘の死に堪えきれず、自ら命を絶ったのだろうといわれています。
この出来事で、当然ながら最上義光は豊臣家を見限りました。関ヶ原の戦いでは東軍の家康に与して見事勝利に貢献。それで気持ちが晴れるようなことはないにしても、娘と妻の仇をとった一戦といえるのではないでしょうか。
京都.三条大橋そばの瑞泉寺に眠る駒姫
京都の三条大橋の近くにある瑞泉寺は、豊臣秀次とその一族や駒姫を弔うために創建されました。
境内には、秀次の墓を正面に、一族妻子と殉死した家臣ら合わせて49名の墓碑が並び、その中には、駒姫の墓が。今でも多くの人が静かに手を合わせに訪れています。
「蔵を裂き、魂を痛ましめずということなし」と目撃した京洛の衆の嘆く様子が瑞泉寺の縁起には書かれています。「蔵」とは、胸の中の心の奥のこと。つまり、「この所業は胸を引き裂かれて、誰もが魂(心)を痛めた」という意味でしょう。
歴史に「たらればはない」とはよくいわれるものの、京都に出てくる日があと数日違っていたり、秀吉の決断があと少し早く早馬が間に合っていれば、と非常に無念に感じてしまう事件です。
秀次事件に関しては、さまざまな説があるものの、いずれにしても駒姫やほかの女性たち、まだ幼い子どもたちには何の罪もなく、理不尽な処刑をされたことには変わりありません。この秀次事件は「豊臣政権の終わりの始まり」となったのでした。
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参考:
駒姫―三条河原異聞―武内涼/著
瑞泉寺公式HP
最上義光歴史館公式HP


