個人の権利は後回し…明治の象徴「四民平等」実際は平等ではなく身分制度の再編に過ぎなかった:2ページ目
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平等よりも国家建設
壬申戸籍の数字を見ると、皇族は3人、華族は2821人、士族は154万8568人、卒族は3万3881人、平民は3110万6614人でした。
これを見ると平民が圧倒的多数であり、国家がどの層を基準に制度を作ろうとしていたかが読み取れます。
教科書では、しばしば「四民平等」が同じ権利と義務を持つ国民をつくるための改革と説明されます。
しかし、実際には徴兵令・地租改・学制など、国家が必要とする制度を実行するための準備として身分を整理した側面が強いものです。
つまり、国家が統治しやすいように身分をまとめたのであって、近代的な平等の理念が先にあったわけではありません。
明治政府の関心は国家建設にあり、個人の権利は後回しでした。
「四民平等」の実態は、近代国家の理念に基づく制度ではなく、国家運営のための制度的な再編に過ぎなかったのです。
民衆が自分の権利を意識し、それを求めるようになるには自由民権運動の時代をまつ必要がありました。
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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia
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