2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──「本能寺の変」豊臣秀吉・秀長が天下に羽ばたくきっかけに【前編】:2ページ目
ここでは、挙げられている諸説のうち、怨恨説以外で新たに唱えられるようになった説をいくつか紹介します。
その一つが、四国の長宗我部氏との関係をめぐるものです。光秀の家老・斎藤利三(としみつ)と長宗我部家の重臣が縁戚関係にあったこともあり、光秀は信長から長宗我部元親との和平交渉を命じられ、その調整を進めていました。
しかし信長はこの方針を突如転換し、四国征伐を決定します。これにより、光秀の立場が一気に危うくなったとされるのです。
また、甲州征伐後に光秀と信長の関係がぎくしゃくした背景として、光秀の武田家内通説があります。これは山崎の合戦後、利三の三男・利宗(としむね)が逃げ込んだ細川家で語ったという内容によるものです。
利宗の話によれば、武田家家臣の穴山梅雪が家康を通じて信長に降伏したことで、「梅雪の口から光秀の武田方への内通が露見するのを恐れ、光秀は取り急ぎ謀反を起こした」と述べたとされています。
このほか、豊臣秀吉、徳川家康、足利義昭、朝廷などが信長排除に動いた黒幕説、天下統一の後に唐入りをほのめかす信長に対する嫌悪説など、さまざまな説が唱えられています。
ただし、本能寺の変は「戦国最大のミステリー」とも称される大事件であり、その真相を究明するのは、今後決定的な史料が発見されない限り、極めて困難だと言えるでしょう。
