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『べらぼう』本は総合芸術!壮大な夢噺のラスト飾る“屁”の大合唱!爆笑と号泣の賑やかな最期【後編】

『べらぼう』本は総合芸術!壮大な夢噺のラスト飾る“屁”の大合唱!爆笑と号泣の賑やかな最期【後編】:5ページ目

「日の本一のべらぼうにございました。」

その夢のお告げをていに伝え、店のスタッフが皆に伝えにいくのですが。
「誰も来ねえなぁ…」「もう、死ぬとは思われておらぬかもしれませんね」相変わらず、漫才のようなやりとりに笑ってしまいました。

蔦重亡き後のことを話し合う二人。さまざまな手配を滞りなく書面にまとめているてい。お寺にも通夜のことを知らせに出し、戒名までしっかり準備、墓碑銘は「狂歌師・宿屋飯盛(又吉直樹)にお願いする」と伝えます。(「お礼も包めますし」と、配慮するところがていらしい気配り)

「万が一のことをずっと考えておりました。こんなものクズ屋に出せるのが一番と」。

心の中では直前に迫る夫との永遠の別れに胸を痛め、事務的な作業で悲しみを紛らわしていたのでしょう。

クズ屋という言葉で、昔のていの言葉を思い出す蔦重。

「クズ屋に出せば本もただのクズ。読む人がいれば、本も本望、本屋も本懐です。」

蔦重は、この言葉を聞きていと一緒になりたいと思ったのでした。多くの視聴者がこの時のシーンを覚えているでしょう。

そして、「結婚する前に『あなたは陶朱公のように生きればいい』と言った言葉を覚えているか?」と聞き、「そんなふうに生きられただろうか」と独り呟きます。

「陶朱公のように、町を栄えさせ、築いた富を分け与えるとは行かなかったな」と自嘲する蔦重。

「江戸はもちろん、名も知らぬ町まで、見知らぬ人たちが黄表紙を手にとり、狂歌を楽しんでいると聞きました。それは旦那様が築いて分け与えた富ではないでしょうか。

その富は腹を満たすことはできないけれど、心を満たすことができる。心が満たされれば、人は優しくなりましょう。目の前が明るくなりましょう。

次は己が誰かの心を満たそうとするかもしれません。さような笑いという富を、旦那様は日の本中にふるまったのではございませんでしょうか。

雨の日も風邪の日も戯けきられたこと、日の本いちのべらぼうにございました。」

そうか、そうか…と頷く蔦重。

このていの言葉は、すべての本作りに携わる人々(自分もなのですが)の胸を打つ言葉だったと思います。

6ページ目 「屁」の大合唱で蔦重を呼び戻す

 

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