『べらぼう』実は写楽は外国人!?謎の浮世絵師・東洲斎写楽はオランダ人「シャラック」だった説:4ページ目
写楽は、実はオランダ人・シャラックだった!?
あまりにも、その正体を含め謎が多い写楽。通常は、いろいろな謎を探るほどに、だんだんその素顔が浮かんでくるものです。ところが、写楽の場合は、むしろ知れば知るほど、その輪郭を描く線が増えて重なり合い、より実体がぼやけていく感じが。けれども、そんなミステリアスなところに惹かれる要素があるのかもしれません。
もしかしたら、「べらぼう」の脚本のように、写楽は1人の人物ではなく複数のチームで構成されたものだったのかも……。
最後に、写楽は「オランダ人だった」という興味深い説をご紹介しましょう。
実は、「あるオランダ人が蔦屋と共に歌舞伎を鑑賞して画を描き、それを歌麿が描き写しをして『写楽』として世に出した。きれいな幻想を好む日本人とは違う異国人ならでは視点が、リアルな役者描写を生んだ」という説。
確かに、異国人からみると日本人の役者、化粧、着物などは新鮮だったでしょう。それを帰国したときに人々に伝えたい!とリアルに描き写したのかもしれません。
それが今までのきれいな役者絵とは違い新鮮だったので、蔦重が「そうきたか!」と膝を叩き、他の絵師に仕上げさせて「写楽」として売り出した。そんなふうに想像すると、実際にありそうで面白そうですね。
また、昭和63年の新聞には、桂三枝さんによる「浮世絵師洒落の正体は『外国人シャラック』だった」という創作落語が記事になっています。写楽の人物の鼻がとても大きいことがそのヒントになったそうです。
徳川将軍に接見するために長崎から江戸に来て、歌舞伎を見学したシャラック。新しい浮世絵を世に出そうとしていた蔦重が彼に目を受けて役者絵を依頼する。山東京伝らが「東方の神祭りをする島国」という意味の「東洲斎」という号を考えたが、シャラックは帰国したために10ヶ月でその活躍は終わってしまった。
そんな内容で、三枝さんは写楽の浮世絵特有の「手のポーズ」を加えて演じたいとのことで、面白そうな内容です。
おわりに
ドラマ「べらぼう」では、影の傀儡師・一橋治済により被害を被った松平容保が結集したアベンジャーズ作戦により、蔦重が立ち上げる「チーム写楽」というストーリーになるようです。
江戸時代の絵師なのに、現代でも断片的に残っている記録や作品を手がかりに謎解きが行われている写楽。
もしかしたら、力を注いだ最初の作品でブーイングを受けた写楽は、「これは、将来評価されるべき名作なんだ。俺のことを忘れるな!」と、わざとさまざまな足跡を残したのかもしれない……そんな気さえしてしまいました。
参考文献:
『写楽の深層』秋田巌
『写楽 閉じた国の幻』島田 荘司

