大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長(仲野太賀)が「天下一の補佐役」と称されていた理由【前編】:3ページ目
秀長は秀吉が心から信頼を寄せた存在だった
大和大納言に任ぜられた頃から、秀長は豊臣軍の軍事司令官としての役割に加え、天下統一を推し進める豊臣秀吉の実弟ならではの重要な立場を担うようになりました。
しかし、10年以上にわたり各地を転戦してきた疲労が蓄積したのか、1586年(天正14年)になると秀長は体調を崩すことが増えていきます。
それでも同年秋、上洛を拒み続けていた徳川家康(演:松下洸平)がついに大坂に到着すると、その宿所は秀長の屋敷と定められました。これに先立ち、秀吉は妹の旭(あさひ/演:倉沢杏菜)を家康の正室として娶らせ、さらに母・大政所を人質として家康のもとに送るという入念な根回しを行っています。
そのうえで、秀吉はその晩に秀長邸を訪れ、家康に対してあらためて臣従の確約を求めました。秀吉が、このような屈辱的な行動を秀長の屋敷で行ったということは、秀長を心から信頼できる身内と見なしていたからだといえるでしょう。
また島津氏と対立していた大友宗麟が秀吉に助けを求めて上洛した際、秀長は今後も豊臣家が大友氏を救済することを約束しています。
この時、秀吉は、「内々の儀は宗易(千利休)、外様の事は宰相(秀長)存じ候」と有名な言葉を述べました。つまり、公的なことは秀長が握っていると公言していたのです。
このように、秀長が豊臣政権に果たした役割は大変大きいものがありました。しかし、1590年(天正18年)の初め頃から病が悪化し、秀吉が天下統一を果たす小田原征伐には参加できず、畿内の留守居を務めます。
そして、翌年の1591年(天正19年)正月、秀長は病の悪化のため、郡山城内で52年の生涯に幕を閉じたのです。
さて、[前編]はここまでにしましょう。[後編]では、いかに秀吉が秀長を信頼できる存在として見ていたか、その根拠を説明していきます。
【後編】の記事はこちら↓
大河『豊臣兄弟!』秀吉が唯一信じた男!豊臣秀長が「天下一の補佐役」と称された理由【後編】
※参考文献:和田裕弘著『豊臣秀長-天下人の賢弟の実像』中公新書刊



