【べらぼう】白眉毛こと松平武元(石坂浩二)の読みは何故タケチカ?タケモトから改名した理由
げにありがたきは白眉毛……
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では田沼意次(渡辺謙)と政争を繰り広げながら、あくまで道理を重んじて、田沼を陥れるようなことはしなかった松平武元(石坂浩二)。
権勢を極めた田沼政権にとって目の上のたんこぶとも言える存在でしたが、浮華軽薄に流れゆく時世にモノ申す重鎮として、存在感を発揮しました。
劇中では一橋治済(生田斗真)に暗殺?された描写がなされており、多くの視聴者からその死を惜しまれています。
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そんな松平武元の名前は「タケチカ」と読みます。普通は「タケモト」と読みそうなものですが、何故このように読ませたのでしょうか。
やっぱり初めは「タケモト」だった武元
●武元(たけちか)
初武元(はじめ、たけもと)……。※『寛政重脩諸家譜』巻第50 松平元越智(清和源氏義家流)
系図集によると、やっぱり初めは「タケモト」だったようです。つまり何かのキッカケがあって読みをタケモトから「タケチカ」に変えたのでしょう。
そのキッカケとは、徳川家基(奥智哉)の元服でした。
明和2年(1765年)12月1日に竹千代(幼名)の諱が家基(いえもと)に決定。このままではイエ「モト」とタケ「モト」の読みがかぶってしまいます。
名前の読みがかぶるのは畏れ多いことであり、武元は遠慮して名前の読みを「タケチカ」と改めたのでした(厳密な日時は未詳)。
元という漢字を「ちか」と読むのは特殊ですが、恐らくは「主君の元(近く)にお仕えいたします」という決意表明だったのではないでしょうか。
……三年四月七日孝恭院殿御元服御叙任ありしかば、十八日備前家守の御刀を賜ひ、孝恭院殿よりも時服十領を被けらる。……
※『寛政重脩諸家譜』巻第50 松平元越智(清和源氏義家流)
【意訳】明和3年(1766年)4月7日に家基(孝恭院殿)が元服し、従二位権大納言に叙任された。そこで供奉した武元は4月18日に備前家守の刀を賜わる。また家基から直々に時服十領を賜わった。
時服(じふく)と季節の衣替え代として賜る禄を指します。十領とは十着分に相当し、季節によって袷(あわせ。春秋)・単衣(ひとえ。夏)・綿入(わたいれ。冬)などに充当されたそうです。
第8代徳川吉宗から徳川家重・徳川家治(眞島秀和)と三代将軍に仕えた忠義の老臣は、ますます奉公に励んだことでしょう。

