【べらぼう】史実では蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)の子はどうなった?二代目以降の蔦屋重三郎を紹介:3ページ目
五代目・蔦屋重三郎
- 生没:生没年不詳
- 実名:喜多川竹吉(たけきち)
- 家族:実父 喜多川松芳(まつよし)、兄(実名不詳)
- 職業:本屋(小売業)
喜多川氏の分家に当たり、四代目の廃業&死去にともない五代目蔦屋重三郎を襲名しました。
……実家の蔦屋に継嗣が絶へたので、松芳の二男即ち竹吉翁が出でゝ、蔦屋の名跡を継ぐことゝなつたのである……
※木村捨三『木村仙秀集 3』「耕書堂蔦屋重三郎」より
と言っても自前で書籍を作る板元ではなく、小売業の本屋。本を仕入れて販売する業態です。
それで何とか明治初期までは蔦屋耕書堂を営業し、その歴史を百年ほどにまで延命させたのでした。
終わりに
今回は蔦重亡き後を継いだ歴代蔦屋重三郎について、五代目まで紹介してきました。
二代目が婿養子であれば、蔦重とおていさんの子(娘)は無事に成人できそうですね。てっきり森下脚本だから「この子はすぐに死んでしまって、二人は悲劇のどん底に叩き落とされるのかな……」と思いましたが、果たして……?
そろそろ最終盤を迎えたNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、最後まで気が抜けませんね!
「べらぼう」蔦重と歌麿、あの頃にはもう…おていさんの安否、失脚の定信…11月9日放送の振り返り&考察
「もう蔦重とは終わりにします」遊女たちの美人画を描き上げ、ついに蔦重(横浜流星)と決別した歌麿(染谷将太)。最後までその思いに気づくことなく、蔦重は永年の礼とお詫びを伝える手紙が視聴者の胸を打ちま…
※参考:
- 江戸時代から五代続いた、蔦屋重三郎の歴代当主の経歴や本名を知りたい。|レファレンス協同データベース
- 鈴木俊幸『近世文学研究叢書9 蔦屋重三郎』若草書房、1998年11月
- 『蔦屋重三郎と天明・寛政の浮世絵師たち』浮世絵太田記念美術館、1985年2月

