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【べらぼう】史実では蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)の子はどうなった?二代目以降の蔦屋重三郎を紹介

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五代目・蔦屋重三郎

  • 生没:生没年不詳
  • 実名:喜多川竹吉(たけきち)
  • 家族:実父 喜多川松芳(まつよし)、兄(実名不詳)
  • 職業:本屋(小売業)

喜多川氏の分家に当たり、四代目の廃業&死去にともない五代目蔦屋重三郎を襲名しました。

……実家の蔦屋に継嗣が絶へたので、松芳の二男即ち竹吉翁が出でゝ、蔦屋の名跡を継ぐことゝなつたのである……

※木村捨三『木村仙秀集 3』「耕書堂蔦屋重三郎」より

と言っても自前で書籍を作る板元ではなく、小売業の本屋。本を仕入れて販売する業態です。

それで何とか明治初期までは蔦屋耕書堂を営業し、その歴史を百年ほどにまで延命させたのでした。

終わりに

今回は蔦重亡き後を継いだ歴代蔦屋重三郎について、五代目まで紹介してきました。

二代目が婿養子であれば、蔦重とおていさんの子(娘)は無事に成人できそうですね。てっきり森下脚本だから「この子はすぐに死んでしまって、二人は悲劇のどん底に叩き落とされるのかな……」と思いましたが、果たして……?

そろそろ最終盤を迎えたNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、最後まで気が抜けませんね!

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※参考:

 

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