徹底していた江戸時代の「リユース文化」の驚き。”捨てない文化”が経済を回していた!?:2ページ目
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古着と針仕事
また当時、新しい着物を仕立てられるのは富裕層に限られていたので、庶民は古着屋を利用していました。
当時は布が貴重だったので、仕立てでも半端な部分を残しませんでした。着物は体に合わせて布を裁断できるので、ムダな裁ち落とし部分が出てしまう洋服と違い、端切れが出なかったようです。
古着だからといって古めかしいものを我慢して着るのではなく、最先端のファッションも楽しんでいました。
例えば、江戸時代には縞模様の柄が流行りましたが、庶民は古着屋で編模様の着物を手に入れていました。
江戸の古着屋街は神田川沿いの柳原土手(現在の神田万世橋あたり)にあり、江戸っ子だけでなく、江戸周辺の人たちも古着を買い求めに来たといいます。
さらに着物が傷んで擦り切れたからといってもすぐには捨てず、つくろいや継ぎあて、仕立て直しを繰り返して使い続けていました。子ども用に仕立て直すことももちろん多かったようです。
衣類の修繕は日常茶飯事なので、当時の庶民の女性にとって針仕事は欠かせないものでした。
現代では子どもの成長に合わせて子ども服を買いますが、着物は成長に合わせて仕立て直しをすればよかったので、長く使い続けることができたのです。
着るのがいよいよ限界に達したら、おしめや雑巾などにして、最終的には燃やして灰にしたといいます。さらにこの「灰」も無駄にせず活用されていました。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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