江戸時代の越後屋呉服店(三越)はこうして大成功した!盗賊にも狙われた大店の実態:2ページ目
2ページ目: 1 2
「超ブラック」の奉公人
店のオーナー経営者は基本的に世襲で、中にはあまり経営にかかわらない者もいました。
実質的に店を取り仕切るのは番頭であり、奉公人の中から選ばれました。彼らは商品の仕入れから接客、営業など、実質的な経営を行いましたが、ただし番頭になるまでの道のりは遠かったようです。
まず10~13歳に小僧として住み込みで奉公することになりますが、小僧は無休で、実家に帰ることができたのは年間で2日間のみでした。
彼らは掃除や商品の運搬などの雑用を行うとともに、読み書きそろばんの学習も必須。店は明六ツ(日の出)から暮六ツ(日の入り)まで開いていたので、奉公人は夜明け前から夜遅くまで休む暇がありません。
現代の労基署が見たら、激怒しそうなほどの超ブラックぶりですね。
そうして小僧として10年ほど奉公すると「手代」に昇進し、さらに10年ほどで能力が認められた者は番頭となりました。
もし、商家の御曹司が放蕩息子だった場合は、番頭が養子として入り、商家を継ぐこともあったようです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
ページ: 1 2
