大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長以外は皆殺し…秀吉が兄弟姉妹に課した残虐な仕打ちの数々:3ページ目
政略結婚の犠牲となった同母妹・朝日姫
秀吉の異父妹で、旭と呼ばれた朝日姫(旭姫・あさひひめ)は、日秀尼と同様に、初めは尾張国の農民に嫁ぎました。しかし、秀吉の出世にともない、夫も武士に取り立てられ、佐治日向守(さじひゅうがのかみ)を名乗るようになったとされます。
しかし、明智光秀を滅ぼした山崎合戦後、天下統一を進める秀吉は、最大の敵であった徳川家康を味方に引き入れるため、無理やり旭と日向守を離縁させ、家康の正室として徳川家に送り込みました。
当時、家康は45歳、旭は44歳でした。彼女は朝日姫として駿河府中に居を構え、駿河御前と呼ばれるようになります。
しかし、秀吉の思惑に反し、家康は旭との婚儀が済んでも上洛しませんでした。やむを得ず秀吉は、母・大政所を「駿河御前を訪ねる」という名目で家康のもとへ人質として送ります。この策によって、ようやく家康は上洛し、秀吉との和議が成立したのです。
その後、朝日姫は病がちとなり、家康との婚儀からわずか4年後にその生涯を閉じました。彼女の人生は、秀吉の政略結婚に振り回されたものだったと断言できるでしょう。

