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大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長以外は皆殺し…秀吉が兄弟姉妹に課した残虐な仕打ちの数々

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天下統一後に判明した兄弟姉妹を皆殺しに

秀吉の兄弟姉妹としては、日秀尼、豊臣秀長、朝日姫の存在が知られていますが、それ以外にも実在した可能性のある兄弟姉妹がいたとされています。

秀吉が天下統一を果たした後、ある若者が「自分は秀吉の弟である」と名乗り、数人の供を連れて大坂城に現れ、秀吉との面会を求めました。

その真意をいぶかった秀吉は、この若者について大政所に尋ねたところ、彼女は曖昧な返答をします。その様子を見た秀吉は、ためらうことなく、若者とその従者たちを一人残らず斬首してしまいました。

その後、秀吉は執拗に自らの兄弟姉妹を探し始めます。そして、尾張に血縁関係のある姉妹がいるという情報を得ると、大坂へ来るよう命じました。おそらく彼女たちは、先の若者が処刑されたことを知っていたのでしょう。さまざまな理由をつけて、大坂行きを遅らせていました。

しかし、秀吉は甘言を弄して彼女たちを大坂へと呼び寄せ、到着するや否や斬首してしまいます。

見つかったのは女子でしたが、秀吉の本心としては、運よく男子(兄でも弟でも)が見つかれば儲けもの、とでも思っていたのでしょう。

このような話は、秀吉の残虐性を示すエピソードとして語られると同時に、「家を守るためには冷酷さも必要である」といった、権力者に求められる資質の一つとして評価されることもあります。

つまり、秀吉が若者を処刑したのは、その人物が本物の弟であると認めてしまえば、後継者である秀頼の地位を脅かす存在になり得ると判断したためでしょう。これは、秀頼誕生の際に、秀次とその一族をはじめ、重臣たちまでも粛清したのと同じ理屈であったといえます。

また一方で、天下人になったのを契機に、秀吉は自らの出自を隠そうとしたという説もあります。秀吉がどのような身分に生まれたかは謎とされ、今もって定説がありません。

天下統一直前、小田原北条氏への宣戦布告状の中で秀吉は、「秀吉、若輩(若い頃)に孤(一人)と成て………。」(『言経卿記』)と自らの生まれについて記しています。

また、毛利の外交増・安国寺恵瓊は「若い頃の秀吉は一欠片の小者(取るに足りない身分の者)に過ぎず、乞食をしたこともある人物だった。」(『毛利家文書』)と書き残しています。

このような資料から、秀吉の出自は良くて農民階級、もしかするとそれ以下の身分であった可能性も指摘されているのです。

ともあれ、秀吉が自らの兄弟姉妹に対して課した行いを知った上で、『豊臣兄弟!』を見れば、豊臣秀長がどんなに秀吉から信頼された人物であったを理解できるのではないでしょうか。

 

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