
名刀「山姥切国広」は本当に山姥を斬っていた?所有者より有名になった伝説の理由とは
名のある刀は有名な人物が所有していることが多々あります。例えば、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)は新選組の副長、土方歳三の所有物、へし切長谷部(へしきりはせべ)は織田信長の所有物などがあげられます。
これらの刀は人気ゲーム『刀剣乱舞』でさらに有名になりましたが、刀剣乱舞により刀の方が持ち主よりも有名になったケースもあります。それは刀剣乱舞でもファンが多い山姥切国広(やまんばぎりくにひろ)です。
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所有者はマイナー武将
山姥切国広は長尾顕長(ながおあきなが)が所有していました。この人物については初めて聞くという方が多いかと思います。
顕長は由良成繁の3男ですが、長尾当長(ながおまさなが)の娘を正室にしたので養子となり、長尾と名乗るようになります。最初は兄と共に織田家の滝川一益に仕えていましたが、天正11年(1583)には北条氏直に仕えます。
天正18年(1590)の小田原征伐では北条方として戦ったため、敗北後は所領全てを失い、生涯浪人の身となります。しかし、子の宣景は徳川家の家臣、土井利勝に家老職として仕えています。
山姥切国広とは
顕長が所有していた山姥切国広は実は山姥切長義の写しです。作者は日向国(現在の宮崎県)で伊東氏に仕えていた堀川国広です。
国広は伊東氏が滅亡すると諸国放浪を行い、天正18年(1590)の2月に顕長の命を受け山姥切国広を鍛刀します。
山姥切長義自体は天正14年(1586)に顕長が氏直から貰ったものであり、国広は山姥切長義を実用的にするために短く鍛え直していることと並行して山姥切国広を打ったと考えられています。
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