
宅飲み、居酒屋のルーツは江戸時代に!現代人よりも酒を飲んでいた江戸の「酒文化」の実態【前編】:2ページ目
「飲酒文化」の完成
晩酌文化が花開いたのには、ほかにもいくつかの要因が考えられます。
まずは、酒が大量に出回り、小売りが盛んになった点です。おかげで人々は日銭で量り売りで買えるようになったのです。
お酒は、伊丹や池田、後に灘など関西の産地から、菱垣廻船や樽廻船によって大量に江戸へ運ばれました。
菜種や綿の実などから採った油が普及したことも大きかったでしょう。あんどんの明かりで、人々は夜の時間を活用しやすくなりました。
その一方で、町中あちこちに設けられた木戸は夜には閉じられたことから、夜間は往来が自由ではありませんでした。今の人たちが感じる以上に、江戸っ子たちは家で晩酌して過ごす「宅飲み」の時間を大切にしていたに違いありません。
現在の一般的な酒とのつきあい方の原型は、江戸の町でできあがったと言えるでしょう。