『べらぼう』そうきたか!が蔦重の真骨頂――老舗に敗れて見えた”才能の正体”によって開ける未来を考察【前編】:4ページ目
「そうきたか!」と思わせるのが蔦重のすごさ
西村屋には「絵の出来栄えに影響する錦絵の“指図”の違い」を見せつけられ、鶴屋には「人気絵師に細かく指図”をして売れる青本を書かせてみる」という編集者としての手腕の違いを見せつけられた蔦重。
結局は、西村屋の『雛形若葉』の売れ行きが絶好調なのに比べて、『雛形若葉』の売れ行きが悪いこと、絵師・北尾政演が鶴屋から本を出してそれが売れていることなどを、亡八たち(吉原の妓楼主たち)に責められてしまいます。
めちゃくちゃ怒られている最中なのに、二代目大文字屋(伊藤淳史)※の詠んだ狂歌に「うまい!」などと反応して、ちっとも深刻に悩んでいる様子がないことからまた、駿河屋の親父(高橋克美)に襟首引っ掴まれて階段落ちされてましたね。
どうしても、深刻な場面でふざけてしまうのも蔦重の「習い性」というものでしょう。
※二代目大文字屋は「加保茶元成」という狂名を持つ狂歌師で、蔦重や歌麿が所属する吉原連という狂歌サークルの中心人物でした。
ふざけてみせながらも、「いいアイデアだと思って進めたビジネスだけれど、まだまだ自分は新参者。老舗の西村屋や鶴屋の次の一手には遠く及ばない」と考え込む蔦重を励まし、モチベーションを上げてくれたのが太田南畝たちでした。
自分はまだまだ「足りてねえ」という蔦重に、「そこがお前のいいところだ」と返す南畝。
「老舗のようにずっと(商売を)やっているやつと比べると、蔦重には他のやつが持っていないアイデアがある。吉原再見がせんべいみたいに薄くなったとき俺は『そうきたか!』と思ったね」と言います。
元木網(ジェームス小野田)は「俺は一目千本の時にそう(そうきたか!と)思った」と言います。
吉原細見を薄くして持ち歩きやすくしたり、吉原の女郎たちをその性格などから一輪の「花」に例えた画集『一目千本』など、確かに蔦重の仕事は「そうきたか!」と思わせる、従来にはない斬新なアイデアが形になったものばかり。
老舗でもないし奉公経験もない蔦重だからこそ、「『そうきたか!』と思わせるものがある」と、言う二人にパワーをもらう蔦重でした。
たしかに、大手には考えつかないような『そうきたか!』というべらぼうな発想力と行動力が蔦重の才能なのだと、改めて思わされるやりとりだったと思います。
落ち込んではいられないと、次なる一手に乗り出した蔦重。
それが、江戸で大流行しはじめた「狂歌の指南書」作りと「青楼美人合姿鏡」を本ではなく「錦絵」として出すことでした。
蔦重の『そうきたか!』が、再び始まります。【後編】に続きます。
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