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【実在人物】病に倒れた”カボチャの旦那”こと大文字屋市兵衛(伊藤淳史)の生涯[大河べらぼう]

【実在人物】病に倒れた”カボチャの旦那”こと大文字屋市兵衛(伊藤淳史)の生涯[大河べらぼう]

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」皆さんも楽しんでいますか?

蔦屋重三郎(横浜流星)の故郷とも言える吉原遊郭は、多くの忘八らが取り仕切っていました。

そんな忘八の一人「カボチャの旦那」こと大文字屋市兵衛(伊藤淳史)。第17回放送「乱れ咲き往来の桜」で俄かに倒れてしまいましたが、果たして彼はどのような人物だったのでしょうか。

今回は大文字屋市兵衛(だいもんじや いちべゑ)について、その生涯をたどってみたいと思います。

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一代で吉原遊廓の大見世に

大文字屋市兵衛は生年不詳(1715年ごろか)、元は伊勢国川曲郡(現代の三重県)の出身でした。

苗字は村田、市兵衛は通称、後に文楼(ぶんろう)と号します。狂歌師として知られる加保茶元成(かぼちゃの もとなり。二代目大文字屋市兵衛)は婿養子です。

寛延3年(1750年)に江戸吉原の揚屋町河岸(あげやまちがし)で、河岸見世(かしみせ。最下級の妓楼)「村田屋」を開業しました。

しかし生家といさかいがあり(おおかた「遊女屋なんてやめてくれ」と言ったところでしょうか)、暖簾を没収されてしまいます。

そこで暖簾を新調した際、暖簾に「大」文字を染め抜いて「大文字屋」と改名。京町一丁目へ移転しました。

夢はでっかく大文字……志を立てた甲斐あってか、後に吉原遊郭でも有数の大見世へと急成長していったのです。

裏を返せば、それだけ遊女たちを搾取し、えげつない商売をしていたとも言えますが……第1回放送「ありがた山の寒がらす」では、蔦重に対して「遊女なんか、カボチャでも食わせておけばいいんだ!」と毒づき、視聴者のヘイトを集めていました。

実際に遊女たちに食わせるためのカボチャを大量に仕入れていたことから「カボチャ市兵衛」「カボチャの旦那」などとあだ名されていたそうです。

……京町大文字屋の市兵衛、祖形見ぐるしく、頭の形かぼちゃに似たりとて、爰に京町大文字屋のかぼちゃとて、ひよっと曲輪の地廻りの男どものわる口に云しが、曲輪中の流行となりきたる……

※手柄岡持『後者昔物語(のちはむかしものがたり)』より

しかし当人は怒るどころか、それを逆手にとって、自分で歌って踊って知名度を高めました。相当にしたたかな人物だったのでしょう。

♪ここに京町大文字屋のかぼちゃとて。その名は市兵衛と申します。せいが低くて、ほんに猿まなこ。かわいいな、かわいいな……♪

【意訳】京町の大文字屋にあるカボチャ。その名は市兵衛と言う。背が低く、猿のように大きく窪んだ眼をしている。滑稽だ、滑稽だ……。

「祖形見ぐるしく」と評された市兵衛は、容姿にコンプレックスを抱えていそうですね

しかしそれを強みに変えてしまうしたたかさは、かつて猿と呼ばれた天下人・豊臣秀吉を彷彿とさせます。

かくて吉原遊郭の風雲児・大文字屋市兵衛は順調にのし上がっていったのでした。

2ページ目 差別に苦しんだ晩年

 

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