
日本文化の奥にひそむ問い――「日本の禅」と出会い響き合ったドイツ哲学者たち【後編】
ハイデガーの哲学が、日本の禅と響き合ったことには、もう一人重要な人物が関わっています。それが、ハイデガーの弟子であり、心理学者・心理療法家でもあったカールフリード・グラフ・デュルクハイムです。
※【前編】の記事はこちらから↓
日本文化の奥にひそむ問い――ドイツ哲学者達はどのようにして「日本の禅」と出会ったのか?【前編】
日本文化と聞いて、皆さんはどんなものを思い浮かべるでしょうか。お茶、着物、神社仏閣、四季折々の自然の風景――目に見える美しさが、まず心に浮かぶかもしれません。けれど…
デュルクハイムは1896年、バイエルン地方の貴族の家に生まれました。18歳のとき、第一次世界大戦に志願し、激しい戦場で4年間を過ごします。戦後、ミュンヘン大学とキール大学で哲学と心理学を学び、博士号を取得しました。
しかし、母方の祖母がユダヤ系であったため、ナチス政権下で学術界から追放される運命をたどります。
その後、彼は文化外交官としての優れた能力を認められ、1938年に日本へ派遣されました。帰国をはさんで、1940年から1947年まで、戦時下の日本に長期滞在することになります。
この滞在中、デュルクハイムは日本の禅と出会い、深い影響を受けました。座禅や岡田式静坐法といった身体と心を一体にする修行を体験し、人間が「存在に目覚める」ための道を、肌で感じ取ったのです。
彼は後にこう語りました。
「ハイデガーが求めていた“本質的な存在への目覚め”は、日本の禅の中にすでに生きていた」と。
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