
日本文化の奥にひそむ問い――ドイツ哲学者達はどのようにして「日本の禅」と出会ったのか?【前編】
日本文化と聞いて、皆さんはどんなものを思い浮かべるでしょうか。
お茶、着物、神社仏閣、四季折々の自然の風景――目に見える美しさが、まず心に浮かぶかもしれません。
けれども、その表に現れるものの背後には、もっと深く静かな、「生きるとは何か」という問いかけが、脈々と流れています。
その精神性を象徴するものの一つが、日本の禅です。
禅は、「今、この瞬間」に心を向け、できるだけ素直に生きることを重視してきました。
たとえば、庭掃除をしたり、お湯を沸かしたり、食事を味わったり――そんな日々の営みひとつひとつを、丁寧に、心をこめて行う。
そこにこそ、人が「生きる」という意味を見いだせる、と禅は教えてくれます。慌ただしい現代社会に生きる私たちにとっても、この考え方は、立ち止まり、自分を見つめ直すための大きなヒントになるでしょう。
実はこの禅の精神に、ヨーロッパの偉大な思想家も深く心を動かされました。それが、ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガー(1889–1976)です。
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