
カリスマか逆賊か?気弱な貴公子か?令和の文芸作品にみられる将軍・足利尊氏の新しいイメージ
足利尊氏とは何者か
2023年の第169回直木賞を受賞した歴史小説『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)で、作家の垣根涼介が描いた足利尊氏が改めて注目されています。
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足利尊氏は武家政権を樹立するつもりはなかった!?善意が裏目に出て南北朝の対立に至った経緯
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かつては鎌倉幕府を裏切った後、従っていたはずの後醍醐天皇に反旗を翻した「逆賊」とされてきた尊氏。その人物をめぐるイメージは、大きく変わりながら現代に至っています。
尊氏(前名は高氏)は八幡太郎源義家の子孫で、1305年に生まれました。鎌倉幕府が開かれて以来、足利氏は代々続く有力御家人で、尊氏も鎌倉に居住していました。
しかし、北条氏の専制政治に不満を持つ御家人が増えたことで、後醍醐天皇を中心に反幕府勢力が結集。尊氏や新田義貞も反幕府軍に加わって、1333年に鎌倉幕府を滅ぼしました。
鎌倉幕府が滅亡に追い込まれた明確な理由は不明なものの、おそらく元寇で蒙古軍を2度追い払った北条氏が、3度目の襲来に備えて要職を自らに近い者で固めたことで、御家人たちの不満が大きくなったのだろうとみられています。
ところが、後醍醐天皇中心の政治に反発した尊氏は離反し、独自に光明天皇を立てて、自身の政治方針を建武式目として発表しました。
後醍醐天皇は大和(現在の奈良県)の吉野に逃れて南朝を開く一方、光明天皇の北朝は38年、尊氏を室町幕府の初代征夷大将軍に任じています。