カリスマか逆賊か?気弱な貴公子か?令和の文芸作品にみられる将軍・足利尊氏の新しいイメージ:2ページ目
逆賊のカリスマ
こうした経緯から、尊氏は何代にもわたって仕えてきた鎌倉幕府を滅ぼし、さらには後醍醐天皇に弓を引いた逆賊とされてきました。
しかし彼は戦前の皇国史観教育で悪者にされてきただけ、ともみることができます。
鎌倉幕府を滅ぼしたのは反北条の御家人を代表して立ち上がったからであり、後醍醐天皇と戦うことになったのも、それまでの武士の慣習(土地の支配など)を無視されたためでもありました。いずれも尊氏の本意ではなかった可能性はかなり高いのです。
ともあれ、多くの御家人が尊氏に従ったのは、彼に人間的な魅力が備わっていたからでしょう。それは何でしょうか。
禅僧・夢窓疎石は、尊氏について「合戦で命の危険にあっても死を恐れない」「物惜しみせず、金銀すらも土石のように与える」などと評したといわれています。
また、他の史料からもそうした尊氏の人柄が読み取れます。
例えば、戦場で不思議な笑みを浮かべるほか、危険な戦場で近臣が陣屋に下がるよう進言しても「負ければ死ぬだけだから下がっても意味がない。敵が迫ってきたら自害する時を教えてほしい」などと言っているのです。
他にも、戦場で感極まると低い身分の者にも腰に差していた太刀を与えたり、死を恐れない一方で、家臣の功績に対しては手放しで喜びを表現するということもありました。
こういった不可解な行動は、かえって彼のカリスマ性を高める結果になったのでしょう。
