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源義経の「鵯越の逆落とし」は実行不可能だった!?「一ノ谷の戦い」で平氏が敗れた本当の理由とは?【前編】

源義経の「鵯越の逆落とし」は実行不可能だった!?「一ノ谷の戦い」で平氏が敗れた本当の理由とは?【前編】:2ページ目

鵯越の逆落とし

二月六日、平氏が平清盛の三周忌を終えた翌日の早朝、義経の軍勢は夜が明けるのを待たずに急襲します。

義経の軍勢は熊谷直実・平山季重らが率いる70余騎が海側に回って、範頼の軍勢とともに平氏を襲いましたが、義経は一ノ谷の背後にそびえる鵯越に向かい、そこから一気に攻め降りました。

この時の一ノ谷の戦いで義経が採った奇襲戦法は鵯(ひよどり)越の逆落としとしてよく知られています。

鵯越はイノシシ、シカ、ウサギ、キツネ以外は通らないといわれた険しい山(断崖とも)で、平氏の軍勢は、誰もが、まさかそこから源氏の軍勢が襲ってくることはあるまいと油断していました。

ところが、兵法の天才といわれた義経は、あえてこの鵯越から急襲します。自ら先頭に立って駆け下りると3000騎の勇士が次々と続き、平氏はたまらず一ノ谷の館から脱出し海上へと逃れていきました。

以上が、有名な一ノ谷の戦いで義経が行った「鵯越の逆落とし」ですが、近年、この奇襲戦法を疑問視する説が出ています。

【後編】の記事はこちら↓

源義経の「鵯越の逆落とし」は実行不可能だった!?「一ノ谷の戦い」で平氏が敗れた本当の理由とは?【後編】

奇襲戦法は実行不可能!?前述の、義経のあとに3000騎が続いたというのは『平家物語』の記述によるものですが、『源平盛衰記』には、このとき義経に続いた畠山重忠の様子が記されています。※前回の…

参考資料:
日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い!変わる日本史』宝島社(2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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