伝説で彩られた「元寇」「蒙古襲来」の真相に迫る!神風伝説とフビライの真の意図について解説【前編】:2ページ目
「神風」の真実
すると、1274年10月、元の大軍が軍船に乗って押し寄せてきます。
これが皆さんご存じの「元寇」または「蒙古襲来」と呼ばれる出来事で、それぞれ1274年の襲来を「文永の役」、1281年7月の襲来を「弘安の役」と呼びます。
ところが、2度の襲来とも奇跡的な大風が吹き、元軍を撤退させたことから、古来よりこの風は神国日本の神々による「神風」だといわれてきました。
ここまでで、これまで伝えられてきた蒙古襲来の経緯を述べましたが、この「神風」による元軍の撤退という出来事は、ある種の伝説に過ぎないと言われています。
元側の史料である『元史』を検証しても、この時、元軍が大風で撤退したという記述はありません。よって実際には神風は吹かなかったか、または大風があったとしても、それは神風というようなものではなく「台風」あるいは玄界灘ではよく見られる強い「季節風」だったという説もあります。
では、なぜ古来、この時の大風は神風だと信じられたのでしょうか。
そもそもの原因は、石清水八幡宮で行われた夷狄降伏の祈禱にありました。この祈祷の数日後、西国から早馬が到着し、祈願したその日に大風によって元軍が滅亡したと伝えられたことから「神風が吹いた」と信じられるようになったのです。
ということで「神風」伝説は今や定説ではなくなっています。このことは、日本史好きの人なら聞いたことがあるでしょう。
ただこの、いわゆる蒙古襲来については他にも疑問があります。
そもそも蒙古襲来の目的は何だったのでしょうか。日本を征服することが目的なら、なぜ三度目の蒙古襲来はなかったのでしょう。
フビライの目的は、本当に日本を恫喝・征服することだったのでしょうか? これについては【後編】で説明します。
【後編】の記事はこちら↓
伝説で彩られた「元寇」「蒙古襲来」の真相に迫る!神風伝説とフビライの真の意図について解説【後編】
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:wikipedia

