
戦国時代、城主が自刃するような「落城」はほとんどなかった!?想像以上に地味だった落城劇の現実
「ドラマチック」な落城
戦国時代の「落城」と聞くと、どのようなイメージが頭に浮かぶでしょうか。
燃え盛る天守閣、城を包囲する兵士たち、逃げ惑う人々、そして城主は一族もろとも自刃……。そんな情景が思い浮かぶという人も多いかも知れません。
しかし実際には、そうした派手でドラマチックな「落城」は、当時はほとんどありませんでした。
派手な落城といえば、まず小谷城の落城が挙げられます。
1573年(天正元)8月、近江の小谷城は、織田信長軍に包囲されました。小谷城には、いったんは信長と同盟を結びながら、のちに裏切った浅井長政軍が籠っていました。
長政の妻お市は、よく知られているように信長の妹です。信長は、妹の安否も考えて長政に投降を勧めたものの、長政はこれを拒否します。
そこで、8月26日、羽柴秀吉の一隊が本丸の背後にある京極丸を占拠。これによって、浅井側は本丸に籠る長政と小丸に籠る父の久政が分断され、翌日には久政が自刃しました。
長政は、お市と三人の娘を信長側に引き渡して抵抗を続けましたが、29日には長政も自刃。ついに小谷城は落城することになります。
この小谷城の落城は、お市が絶世の美女といわれることもあって落城劇の典型として語り継がれてきました。しかしこのようなドラマチックな落城劇は、戦国時代にもめったに起きなかったのです。
ページ: 1 2