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戦国時代、城主が自刃するような「落城」はほとんどなかった!?想像以上に地味だった落城劇の現実

戦国時代、城主が自刃するような「落城」はほとんどなかった!?想像以上に地味だった落城劇の現実:2ページ目

現実は「地味」な落城

そもそも城攻めは、攻める側にも守る側にも莫大な損害が出るものでした。信長や秀吉のような圧倒的な戦力と軍資金がなければ、なかなか踏み切れるものではなかったのです。

よって大抵の場合、城攻めの前に政治工作を行って敵の家臣を寝返らせるなど、相手陣営を切り崩すところから始まります。

それに成功して、相手陣営が弱体したのを確認してから初めて攻撃に出るというのが一般的なパターンだったのです。

また切り崩された方も、徹底抗戦してはお家壊滅の危険があります。戦況が不利なことを悟ったら和睦のための交渉に乗り出すか、城主は逃亡するというケースもありました。

そのため、小谷城のような落城劇はまれで、現実には双方合意のうえでの開城か、城主の逃亡による無血占領という話のほうがはるかに多く、戦国時代の落城は想像以上に「地味」なものだったのです。

城主が逃亡した有名な例としては、直木賞を受賞した『黒牢城』の主人公・荒木村重のケースが挙げられます。彼は一族を見捨てて一人で逃亡しました。彼の謀反と逃亡によって、700人もの関係者が織田信長によって処刑されています。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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