
気になる唐丸の過去と今後…【大河ドラマべらぼう】2月2日放送回の振り返り&解説:3ページ目
自由に生きる源内先生
劇中で「自由」と言っていた平賀源内。
「自由」という言葉は、明治時代に入ってきたFreedom(フリーダム)やLiberty(リバディ)の訳語として作られたものだから、江戸時代以前にはなかったと考えられがちです。
しかし古典をひもとくと、意外とあちこちに「自由」という言葉が散見されました。
……よろづ自由にして、大方人に従ふといふことなし……
※『徒然草』より
……常住死身になりて居る時は、武道に自由を得……
※『葉隠』より
……自由ざんめへ(三昧)に引替、買立るし……
※『浮世風呂』より
自由とは文字通り、自らに由(よ)ること。勝手気ままの意味に加えて、自立や自律の要素も含まれます。
また面白い用例としては、お手洗いを自由とも言いました。
……自由に立つふりして勝手に入り……
※『傾城色三味線』より
用足しくらいは好き勝手にさせて欲しい、という思いなのか、あるいは他の誰にも代わってもらえないから自由と呼んだのでしょうか。
本作では何かと品のない源内先生だから、こういう意味も込めて自由と言ったような気がしないでもありません。
現代でも「ちょっと自由に行かせてもらいますね」なんて断りを入れたら面白いですね。
自由に生きざるを得ない源内先生
とまぁよろず自由に生きている源内先生ですが、一方で気の落ち着く暇がありません。
元々は讃岐高松藩に仕えていたのですが、脱藩したから「奉公構(ほうこうがまい)」となってしまったからです。
奉公構とは、他藩へ「コイツを奉公(仕官)させないで下さい」と通知すること。これによって源内先生はどこにも(少なくとも大名家や武家には)仕官できなくなってしまいました。
自由に生きるということは、自由に生きられなくなれば誰からも保護されないということです。
野垂れ死にが嫌ならば、何をやっても稼がねばなりません。
本草学者に発明家、山師・戯作者・蘭学者……常に世のニーズを探り、必死にもがきながら生き延びていたのでした。
それが自由の代償であり、最期は非業の死を遂げてしまう源内先生。悲しくも全力で生き抜いた姿は、今も人々の胸を打ちます。