江戸時代に「狂歌四天王」として活躍した鹿津部真顔とはどんな人物だったのか?【大河べらぼう】:2ページ目
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高尚過ぎた?孤独な晩年
このころになると、生来の偏屈か鎌首をもたげたのか、狂歌界の奔放無軌道ぶりを批判するようになりました。
「昨今の狂歌には我慢がならん!鎌倉・室町期の精神に立ち返るべきだ!」
いわゆる「昔はよかった」という老害あるあるですが、恐らくは風刺や諧謔を効かせる一方、古式ゆかしき品格も保つべきなどと言いたかったのでしょう?
しかし権威者がこういうことを言い出すと、ジャンルが硬直ひいては衰退してしまいがちです。
案の定、鹿津部真顔が狂歌という名前から変えた「俳諧歌」は高尚?過ぎて一般には受け入れられませんでした。
庶民が求めていたのは親しみの持てる笑いであり、しかめっ面で嗜むような趣味ではなかったのでしょう。
これが結果として狂歌界の衰退を招いてしまいました。
それまで狂歌界を牽引してきた鹿津部真顔は、寂しさと貧しさの中で文政12年(1829年)6月6日に世を去ったということです。
墓所は光円寺(こうえんじ。東京都文京区小石川)にあり、今も静かに眠っています。
終わりに
菓子壺に 花も紅葉も なかりけり 口さびしさの 秋の夕ぐれ
【意訳】お菓子入れに何にも入ってないから、口淋しく感じる秋の夕暮れであった。
※藤原定家「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮(新古今和歌集)」のパロディ。
今回は狂歌四天王として活躍した鹿津部真顔について、その生涯をたどってきました。その名が示す通り、しかめっ面の真顔で狂歌を嗜んでいたのでしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」では、どんな活躍が描かれるのか、今から楽しみにしています!
※参考文献:
- 岡本勝ら『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月
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