【大河べらぼう】天明の狂歌界を牽引!狂歌の三大家のひとり「唐衣橘洲」とは何者?その生涯をたどる:2ページ目
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一度は狂歌界から遠ざかる
しかし狂歌人気の高まりと共に、先駆者同士の対立も浮き彫りとなっていきます。
ジャンルが盛り上がるとよく起こる「ウチが元祖だ」「こっちが本家だ」的な争いですね。
唐衣橘洲は盟友の大田南畝と対立。自身の選書『狂歌若葉集(きょうかわかばしゅう)』が大田南畝の『万載狂歌集(まんざいきょうかしゅう)』に圧倒されたショックゆえか、天明3年(1783年)ごろに狂歌界から遠ざかってしまいます。
それでも狂歌の魅力を捨て去ることはできず、天明5年(1785年)に『俳優風(わざおぎぶり)』『夷歌百鬼夜狂(いかひゃっきやきょう)』で華麗なカムバックを果たしました。
また寛政2年(1790年)には『狂歌初心抄(きょうかしょしんしょう)』、寛政12年(1800年)には『狂歌うひまなび(初学)』を刊行します。
これらの書籍はタイトルどおり、これから狂歌を学ぶ人はもちろん、ベテランも初心に立ち返るためのテキストでした。
後進の育成にも力を入れながら、享和2年(1802年)7月18日に亡くなるまで狂歌界の重鎮として存在感を失わなかったそうです。
終わりに
今回は狂歌の三大家として知られる唐衣橘洲について、その生涯をたどってきました。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」では、どのような活躍が描かれるのでしょうか。今から楽しみですね!
※参考文献:
- 岡本勝ら『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月
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