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勝てば英雄、倒れた者の運命は…。東郷平八郎に敗れたバルチック艦隊の提督はその後どんな最期を迎えたのか?

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この軍事法廷での判決は、かねてから彼の態度に不満を持っていた者たちの感情に拍車をかけました。

ロジェストヴェンスキーは、バルチック艦隊がヨーロッパから喜望峰回りでアジアへ向かう途中で部下に対して冷たくあたったり、水兵を罵倒し暴力を振るうなどの問題行動を数多く起こしていたのです。パワハラですね。

そうした傲慢な態度への不満がくすぶっていた中での法廷での判決に、かつての部下たちの不満は歯止めが効かなくなっていきます。

環境要因も

この様な事態に海軍省も無視できなくなり、ロジェストヴェンスキーの官位はついに剥奪され、軍籍からも追放されてしまうのです。

日露戦争及び日本海海戦における日本勝利の大きな要因として、英国による日本への徹底した支援がありましたが、それはバルチック艦隊にとってはかなりの痛手で、兵士たちの士気は著しく低下しました。

また、英国がバルチック艦隊に対し行ったスエズ運河の使用不許可や、英国植民地での石炭補給の禁止などの措置はロジェストヴェンスキーにとって苦々しいものだったことでしょう。

何しろ、これらによってバルチック艦隊は効果的な補給や整備が叶わないまま地球半周の大航海をする羽目になってしまったのですから。

ロジェストヴェンスキーのパワハラを擁護することはできないものの、彼の問題行動の裏にはもしかしたらこのような事態に対するストレスも関わっていたのかもしれません。

軍事法廷では罪を免れることができたロジェストヴェンスキー提督。しかし、それからたった4年後の1909年(明治42)には、失意のうちに61歳でこの世を去りました。

画像:photoAC,Wikipedia

 

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