武家のルール「御成敗式目」はなぜ50ではなく51箇条?中途半端な数字には理由があった!【陰陽思想】:2ページ目
なぜ「50」ではなく「51」なのか?
さてこの御成敗式目ですが、最初は35条までが作られ、そのあと付け加えがあり、全部で51箇条になるという経緯をたどっています。
今回のテーマは、なぜこのような中途半端な「51箇条」という数字になったのか、という点です。
御成敗式目は51箇条にまとめられていますが、なぜ、そんな中半端な数にしたのでしょうか。
現在の感覚でいえば一条だけ余分で、50条にしておけばスッキりするように感じられますね。
この疑問を解くカギは、陰陽思想にあります。実は、御成敗式目の51カ条という数字は中国古来の陰陽思想に基づいているのです。
十七条憲法も建武式目も…
陰陽思想は、万物が陰と陽という二つの気によってできているという考え方で、奇数を陽とし、偶数は陰とします。
そして10以下の整数では、最大の陽数が9で、陰数が8となります。陰陽思想では、この9と8を足した17という数字は、とても強い数であるとしています。
17という数字と律令の関係で考えたとき、聖徳太子の十七条の憲法や足利尊氏の建武式目を思い出す人もいるかも知れませんね。
じつはその連想は間違ってはおらず、いずれもこの陰陽思想に基づいているとされています。
で、御成敗式目の51という数字もまた、17の倍数である51に合わせたものなのです。
ちなみに、51箇条からなる御成敗式目は武家の基本法ですが、のちに足利尊氏が制定した建武式目はあくまでも武家政権の施政方針を示したもの。こちらは拘束力がないとも、御成敗式目の改廃を伴う法令ではなかったともいわれています。
数字の大きさだけで言えば、17条の建武式目よりも、51箇条の御成敗式目の方が「強かった」と言えるかも知れません。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia