【光る君へ】女好き天皇、猫好き天皇など…紫式部が生きた時代の歴代天皇陛下まとめ!:2ページ目
第66代・一条天皇
生没: 天元3年(980年)6月1日生~寛弘8年(1011年)6月22日崩御(32歳)
在位:寛和2年(986年)~寛弘8年(1011年)
諱は懐仁(やすひと)。円融天皇と藤原詮子の一人皇子です。
藤原兼家・藤原道長一家の後ろ盾によって20年以上の皇位を保ちました。ただし詮子や道長との関係が悪かったとの説もあります。
一条天皇の中宮となった藤原彰子に紫式部は女房として仕えました。
崩御の寸前になって従兄弟の居貞親王(三条天皇)へ譲位します。
関連記事:
猫に位まで!?平安時代の一条天皇は異常なまでの猫愛あふれる天皇だった
平安時代の特徴とも言える女流文学が開花した時に在位していた一条天皇は、かなりの猫好きとして当時から知られていました。どれくらい好きだったかというと、あまりの好きさに位を与えてしまうほど、好きの…
日本人の宴会好きは昔から…平安貴族の風習「焼尾荒鎮」に一条天皇もうんざり
「昇進おめでとう!前途を祝して呑みに行こうぜ!」「彼女にフラれた?酒でも呑んで次に行こうぜ!」「退院おめでとう!快気祝いで呑みに行こうぜ!」……などなど。何かと理由をつけては酒…
在位中の元号は以下の通りです。
寛和・永延(えいえん)・永祚(えいそ)・正暦(しょうりゃく)・長徳(ちょうとく)・長保(ちょうほう)・寛弘(かんこう)
第67代・三条天皇
生没:天延4年(976年)1月3日生~寛仁元年(1017年)5月9日崩御(42歳)
在位:寛弘8年(1011年)~長和5年(1016年)
諱は居貞(いやさだ/おきさだ)。冷泉天皇の皇子で花山天皇の兄弟、一条天皇とは従兄弟に当たります。
藤原道長の姉・藤原超子が産んだ子ですが、叔父からは絶えず譲位の圧力をかけられ続けました。
元から病弱でかつ眼病を患ったことから「我が子・敦明親王を春宮(皇嗣。次々代の天皇陛下)にしてくれるなら」という条件で一条天皇の第2皇子・敦成親王(母は彰子)に譲位します。
しかし崩御後、その約束は反故にされてしまうのでした。
在位中の元号は寛弘・長和(ちょうわ)のみです。