日本人の宴会好きは昔から…平安貴族の風習「焼尾荒鎮」に一条天皇もうんざり
「昇進おめでとう!前途を祝して呑みに行こうぜ!」
「彼女にフラれた?酒でも呑んで次に行こうぜ!」
「退院おめでとう!快気祝いで呑みに行こうぜ!」
……などなど。何かと理由をつけては酒を呑み、どんちゃん騒ぎをしたがる日本人。特にめでたいことについては陽気にはしゃぎ回ります。
一方で、派手なことや騒がしいことが好きでない手合いも少なからずいて、うんざりさせられることもしばしば。
そんな言わば陽キャと陰キャの鬩(せめ)ぎ合いは昔からあったようで、今回は平安貴族たちの風習「焼尾荒鎮(しょうびこうちん)」を紹介。
陽キャの代表?藤原道長(ふじわらの みちなが)と、陰キャの代表?一条天皇(いちじょうてんのう。第66代)のエピソードをひもといてみましょう。
焼尾荒鎮とは
焼尾荒鎮。字を読めば「尾を焼いて荒ぶるを鎮める」と何だか物騒な感じですね。これは中国大陸の唐・宋王朝時代、科挙(かきょ。官吏登用試験)に合格した者が祝賀の宴会を催すことを言います。
尾を焼く、とは全身くまなく真っ赤になるまで酒を呑んで酔っ払うこと。そうして壮絶な受験勉強や試験(現代日本の比ではないほど苛烈なものだったそうです)で荒ぶった心身を鎮める意図があったとか。
この風習が日本にも持ち込まれ、任官試験に合格したり栄転・昇進などの折に派手な宴会が開かれるようになりました。
元はめでたい本人が自発的に開いて周囲への感謝と心づけ(今後ともよろしく、的な)としましたが、時には周囲から要求されることもあったと言います。
「栄転おめでとう。で、ここ(新任先)では俺が顔役なんだけど、上手くやって行きたかったら、まずは相応の挨拶が必要だよな?」
……みたいな。現代日本でも十分にありそうな(残念ながらあるでしょう)、悪しき風習は昔からのようです。
こういう事が起こると、新任の官吏は顔役のご機嫌を取るために人民を搾取するのがお約束。逆に過剰なおもてなしによって周囲を手なずけ、利権としがらみで政治を私物化する者もいたでしょう。まったく堪ったものではありません。
そこで朝廷当局は、焼尾荒鎮に対してしばしば禁令を発したことが『類聚三代略』などに記録されているものの、何だかんだと形を変えながら今日に至ります。